Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

海を感じたいときに

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ブルーバック』(2007年)ティム・ウィントン作 小竹由美子訳 さえら書房

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今日の一冊は、海辺にいますぐにでも行きたくなるコチラ。

 

2008年の小学校高学年の部の読書感想文コンクールの課題図書だったようです。

文字の大きさ的には、小学校中学年(or 中高年(笑))向きなので、逆に本好きの高学年の子からは敬遠されてしまうのではないか、という危惧もちょっぴり。

 

ブルーバック』あらすじ

オーストラリアの人里離れた入江で母親のドラと暮らす少年エイベル。自然のめぐみだけが頼りのきびしい生活ながら、海の大好きな親子はみちたりた日々をおくっていた。入江にすむ巨大な青い魚ブルーバックと出会ってから、エイベルの日々はいっそう輝きを増す。やがてエイベルは都会の学校へ進学、故郷の海とブルーバックのすがたをいつも心にいだきながら、海洋生物学者となる。一方、母ドラがひとりで守る入江には、さまざまな災厄がふりかかる。暗礁を根こそぎにする漁師の出現。リゾート化計画。タンカーの座礁。やがてドラは海を救うために大きな決断をし、その志は息子のエイベルにひきつがれていく。オーストラリアの自然をこよなく愛する作者が、子どもから大人まですべての年齢層の読者に贈る、「海の不思議」と希望の物語。ボリンダ・オーディオブック賞、ウィルダネス・ソサエティ環境賞、WAYRBAホフマン児童文学賞受賞作。(BOOKデータベースより転載)

 

そういえばオーストラリアの児童文学ってほとんど読んだことがなかったかも。以前ご紹介したパトリシア・ライトソンくらい? ↓

jidobungaku.hatenablog.com

 

こちらのティム・ウィントンさんも、オーストラリア国内ではとっても有名な方のようで、作品は次々と映像化もされているそう。うんうん、読んでいて映像が目に浮かぶもの。作者の海への思いがひしひしと伝わってきます。

 

私はとても好きな物語でした!ただ、淡々としているのと、描写が細かいわけではないので、海にあまり関りがない人にとっては物足りなさを感じるかもしれません(そんな感想をチラホラ見かけたので)。海の魅力、神秘に少しでも触れたことがある人なら“ああ、分かるっっっ!”“憧れる!”ってなると思うんですけどね。そういう意味では、物語って、ある意味独立してなりたっているものではなくて、他の人が書いたもので自分の心の中に残っているものや、自分自身の色んな体験と重なり合うことで、感じ入るものも変わってくるんだなあ、って改めて思いました。

 

例えば、この物語の主人公の先祖たちは鯨漁で暮らしていたと、さらっと書かれていたのですが、鯨漁といえばコチラ↓

jidobungaku.hatenablog.com

 

こちらなんかを見ていたら、それがどんなに過酷なものか、そして鯨漁で家族を亡くすことがどんなにツライことかと想像を馳せると思うんです。でも、触れたことない人だったら、さーっと読み流しちゃいますよね。

 

本じゃなくても、実際の体験じゃなくてもいいと思うんです。何かということにはこだわらないけれど、どれだけ自分のセンサーが日ごろから働いているかで、受け取れるものが変わってくるのかな、って。

 

ところで、今回の物語に出てくるブルーバックというのは、メバルの種類らしい。見た目は決してかわいいとは……おっと、これは主観ですけどね。でも、イルカのように誰が見てもカワイイ!一緒に泳ぎたい!と思うような見た目ではないので、そこがなんだか新鮮でした。

 

自然と共存するとは?

 

田舎を離れる若者、年老いていく母。

 

自分の本当の望みって?

 

自分にとって本当に大切なものって?

 

大人が読むと、感じ入るものが多く、自分の生き方を問い直されたような気になりました。海を感じたい方はぜひ。

 

忘れられない一文

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『お嬢さん放浪記』(2018年)犬養道子作 角川文庫

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今日の一冊はコチラ!

 

大好きで、学生時代にもう何回読み返したことでしょう。

私が読んだのは、中公文庫版でしたが、今は角川文庫なのですね。

中公文庫版は、赤い表紙が不穏な感じで、なぜこの表紙?と印象的だったなあ。そして300円でした(時代!笑)↓

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中公文庫版

さて、内容はというと、

戦後まもない頃に日本中を虜にした、時代を切り開いた女性の欧米滞在記!

1948年、米国に留学中だった著者は、サナトリウムで療養しながら「起業」し、そのお金でヨーロッパに旅立った――。渡航が難しい時代に世界を渡り歩いた女性が残した、驚きと発見溢れる旅文学の金字塔!(出版社HPより転載)

 

犬養道子さんは、犬飼毅元首相のお孫さんで、評論家・小説家。

渡航が難しい時代の話。スケールの大きさや、家柄的にもあまりにも一般人とは違いすぎて、共感というよりは、驚きの連続で感心ひとしきりだったものです。

 

どの章も甲乙つけがたいくらい面白い!!!が、夢中になったわりには、内容は覚えていなくて(笑)。でも、とにかく面白かった!ということだけは覚えてる。

 

読んだそばから忘れていくので、何度読んでも楽しめる私(←ポジティブ)。そんな私でも、この本の中で強烈に覚えているエピソードがあって。それが、彼女がアメリカで言われた一言なんです。

 

アメリカとアメリカ人とはちがうということを覚えておいて”

 

という言葉。ガツンと来たんですよね。そうだなあ、って。当たり前じゃないか、と思いました?でもね、これ意外と混同してると思うんです。

 

いま読み返してみたら、「アメリカ人ほどいちがいに総括出来ない国民は他にはいない(人種のるつぼ)」、という意味合いで、それぞれ気性や考え方は出身国のものという話だったのですが、私はずっとその土地に暮らしている人でも、同じことが言えると思うんです。国(の政策など)とそこに暮らす人(の考え方)は違う。

 

私は学生時代に一年間交換留学でニュージーランドに行ってたことがあるのですが、行った大学先にはありとあらゆる国からの留学生が来ていたんですね。そんな中で、“日本人は〇〇だから”とレッテルを貼られることがすっごく嫌だった。たとえ、それがいいことだったとしても。ましてや、アジア人はとか広く括られるとね。generalize(一般化)しないでー、って。ところが、ですよ。差別とかにあうと、自分も“やっぱりこれだから白人は”と思ってる自分に気付いて、愕然としたのです。同じやん。

 

そして、いま。世間が、ロシア=悪となって、やたらと叩く風潮が気になります。

ロシアというだけで、ロシアの食材店が攻撃されたり、ロシア料理を紹介しただけで、料理家が批判されたり。ヘイト関連ニュースを見ると、この言葉を思い出すんです。同じ国に住んでいたって、考え方は千差万別。家族内だって、考え方が違う。← 自分に言い聞かせてます。

 

こんな風に、その本に書かれていたたった一文が、のちのちの考え方にまで影響を及ぼすことってあるんですよね。もちろん、本でなくてもよくて、誰かに言われた一言とかもあると思います。でもね、そんなスケールの大きい体験できない、とか、周りにそんな素晴らしい人いない、という人もいい本を手に取れば、そこに出合いがある。気づきがある。やっぱり本っていいなあ、って思うんです。手にさえ取れば、誰にでも開かれてるから。

 

みなさんが、忘れられない本からの一文ってなんでしょう?

よかったら、聞かせてください。

 

中学生以上にも差し出したい絵本

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『アリになった数学者』(2017年)森田真生文 脇阪克二絵 福音館書店

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今日の一冊は、絵本。

 

正直に告白します。こちらの絵本が話題になった発刊当時、買いました。読みました。でも、全然頭に入ってこなくて、印象に残らなくて。ページ数も47ぺージで1ページあたりの文字数も多いことから、我が子たちも途中で飽きてしまい、聞いてもらえなかった。だから、ずっと家に眠ってたんです、この絵本。

 

久々に出してきて読もうと思ったのは、次男が数学に夢中だからかもしれない。

少しでもその世界に触れてみたいと思ったからなのかも。

 

さて、読み始めました……昨晩寝たのが遅かったこともあり、はい、眠くなってきました(笑)。そこで、今度は声に出して読んでみました。

 

すると、なんということでしょう......!!!

なんとも美しい世界がそこに広がり、私の中に流れ込んできたのです。わおっ。

なんたる体験!

 

『アリになった数学者』は、詩的でかつ哲学的な文で、数学の美しさを教えてくれます。数学を美しいと感じる日が来るとは。小学生向けとはなってはいるけれど、そういう意味では、この絵本の魅力が分かるのは、中学生以上かもしれない。

 

アリになり、他のアリに出会った数学者の著者は、数学のことはアリには少しも伝わらない、数がない世界がアリの日常なのだ、と実感します。

 

ところが。

雨上がりの朝、目を覚ますと、彼は女王アリ(多分)と出会うのです。

 

「朝の露が今日も光をわけあっている」

 

と透き通る声で、歌うように話す女王アリ。

地上にあるものはすべて、たがいをてらしあって存在している、という彼女。

一つ一つの露にも歴史があって、うつりこんでるのは『いま』だけではなく、連なる過去もちゃんとうつりこんでいる。

 

それが、見えるのか?とアリになった著者が聞くと、彼女はこう答えるのです。

 

「見えるというより、じっと耳を澄ませて聴くの。

音で、味で、あるいはにおいで、あらゆる感覚で、露のことばを聴きわけるのよ」(P.34)

 

 

ああ!これ!!!

私たちは頭でばっかり考えて、あらゆることに対して耳を澄ませるということを忘れてるんだなあ。耳をすます、って「いま、ここ」を全身で感じること。

 

アリには人間の数学はわからないけれど、おなじくらい人間にはアリの数学がわからない、と著者。そして、アリのからだに宿る数学は、人間のそれより、もっとずっと広くて自由なのかもしれない、と。

 

小さな小さな世界の中に無限に広がる世界、宇宙。

私たちはなんて不思議と驚きに満ちた世界に生きているんだろう。生きるって、素敵だなあ。そんな風に思わせてくれた一冊です。

思春期に読みたい珠玉の短編集

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『真夜中の電話』(2014年)ロバート・ウェストール著 原田勝訳 徳間書店

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前回に引き続き、今回もウェストール!

今日の一冊は、大人はもちろん、思春期(特に男子)に差し出したい短編集。

短編集ってあまり普段読まないのですが、ああ、ウェストールは好きだなあ。

 

人間の負の部分も割と描くから、読んでいて“人生楽しい!最高!”とはならないんだけれど、思春期ってそういう世界もきちんと見せないと、“きれいごとばっかり......”と感じがち。だからか、ウェストール読むと“うんうん、分かってる~”、ってなる気がするんですよね。

 

特に思春期男子におススメと書きましたが、男子の気持ちが分からない女子や女性にもおススメです。男子ってこんな感じなんだ、というのが分かる。

 

そこで、思い出したのがサリンジャーです。

ライ麦畑でつかまえて』を初めて読んだとき、私にはちんぷんかんぷんでした。主人公のホールデンに1ミリも共感できない(笑)。でも、ものすごく惹かれて、大好きな一冊なんです。そして、強烈な印象で残っているのが、私の兄が「高校生のときに出合いたかった。こんなにも自分の気持ちをあらわしてくれてる物語があっただなんて」のようなことを言ってたことなんですよね(強烈な印象のわりには発言ウロ覚え)。

 

ウェストールの描く思春期男子たちもそれに通じるものがある気がするんです。男子にしか分からない男の友情、女子への思いetc.etc.

 

ここには9編収録されていますが、どれも甲乙つけがたいくらい好き。

一番印象に残ったのは、『吹雪の夜』というお話。短編というよりこれは中編ですが、ここに出てくる父親の子どもへの接し方を見て、我が身を振り返り反省させられるところも多かったので。

 

『吹雪の夜』もそうですが、『羊飼いの部屋』という物語も吹雪を扱っていて、自然の脅威におののきます。自然(天候、動物)、幽霊、ウェストールの物語は人間だけが世界じゃないよ、ということを示してくれるんです(ダークな面でだけど)。そのせいか、苦しいのに、息苦しくはないというか。うーん、言語化するのが難しい......。

 

ラストを『女たちの時間』でしめたのもすごくいいなあ。

翻訳者原田勝さんの、あとがきで(各話への補足)もこれまたいいんです。

 

男が戦場や吹雪の中へ出ていき、また、祝祭より仕事を選ぶのは、臆病さの裏返し、器の小ささの表れである、という見方は、男性であるわたしには、あたっている気がします。そして、女性というのは、打つ手がなくなったときにどっしりとかまえ、また、楽しむときは楽しむ、そういう胆力をそなえた性である、というのもうなずけます。(P.277)

 

命に関することは女性が強いですよね!だから、世界の中心が女性たちなら、戦争は起こらない(命を落とすものだから)。

 

って、ここまで書いて思いましたが、これじゃあこの短編集の魅力が伝わらないですね。トホホ。短編なんで!とにかく1話でも読んでみて!と言いたいです。きっと止まらなくなることでしょう。

 

ちなみに、ウェストールといえば、ジブリ宮崎駿監督がウェストール好きで有名。今回のカバー画も宮崎駿さんによるものです。以前も書いたけれど、私、宮崎駿監督が最後の映画を作成すると聞いたとき、ウエストール、キター!!って思ったんですよね。見事、ハズレましたけど(笑)。

 

男子たちを魅了するウェストール。ぜひ。

戦争を話題にするなら、まず読みたい一冊

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『弟の戦争』(1995年)ロバート・ウェストール作 原田勝訳 徳間書店

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今日の一冊は以前も紹介したコチラ。

いまこそ読み直したい一冊なので、もう何度でも紹介しちゃいます。

 

≪『弟の戦争』あらすじ≫
他人の感情をそのまま感じてしまう心優しいフィギスは、ある日自分はイラクのラティーフという少年兵だと言い始める。湾岸戦争が始まった年のことだった。その弟の秘密に一人気づく兄。どうすれば弟は助かるのか。やがてこの世には科学では説明のつかないものもあると理解してくれる精神科医のラシード先生に出会い、少しずつフィギスはラティーフから解放されていく。

 

舞台は平和なイギリスです。これは、本当に読んでほしい一冊!戦争現場の悲惨さを直接は描いてはいないのです。フィギスにラティーフというイラクの少年兵を憑依させ、ただ淡々と向こう側の人を見せることによって、一気に戦争を自分の問題として考えられるようにしてくれる、画期的な物語なんです!

 

読んだとき、何が一番衝撃的だったかってね、無意識下にせよ、自分も”アメリカ人の命のほうがイラクの人々の命よりも尊い”、とどこか感じていた部分あったのではないか、ということ。それを突き付けられたこと。

 

希望も何もないラティーフの世界をフィギスを通して見ると、とたんに見え方が変わってくるんです。

 

こんな世界に誰がした?

 

本当にフセインが悪くてアメリカが英雄なのか?

 

戦争に限らず、立場が違えば違った現実が見えてくる、それをこの物語は教えてくれます。

 

じゃあ、今のロシア・ウクライナ情勢は?

 

戦争は、何があっても私は嫌です。

いつだって犠牲になるのは、権力を持たない一般市民だから。

 

それが、大前提。

そのうえで、いっせいにプーチンを叩く今の世の中の風潮が、ちょっとコワイなとも思う今日この頃です。離れた安全なところにいる人たちの正義感がコワイ。背景を知ろうとせずに、イメージで叩く人たちがコワイ。平和主義者たちの平和とはほど遠い強い言葉がコワイ。......気づくと自分もそうなってそうだから、コワイ。

 

本当に平和を望むのなら、その背景を知ろうともせずに正義感だけで叩いても終わらないよね、って自分に言い聞かせてます。また、西側の提供する情報だけで、背景を知った気になるのも危険。物事を多角的に見ること、忘れちゃいけないって思います。

 

今回、ウクライナの難民を受け入れるEU諸国の対応を素晴らしいと感じた方も多いことでしょう。確かに困った隣人に手をさしのべるのは素晴らしい。でも、同じ人たちにこんな側面もあります。さあらさんのブログを読んで、ハッとさせられました ↓ 

sarah51.exblog.jp

 

メディアで見るとね、まるで今、ロシアとウクライナしか問題がないように見えますが、現在も紛争中の国ってほかにもいくつもあるんですよね......。報道されないから目に入ってこないだけで。それを、忘れたくない。下記の動画もショックですが、短いので一度は見てみるのおすすめです ↓

youtu.be

2014年にNGOセーブ・ザ・チルドレンが作成したものですが、これ見たときは衝撃でした。

私、自分はシリアの人たちに対して偏見ないほうだと思ってたんですよ。でもね、シリア難民の人たちを見ても、この動画見たときほどのショックは正直覚えなかったんです。先進国の子どもに同じことが起きているほうが、ショックを受ける、というのはどういうこと・・・!?見慣れちゃってるところがあるんだと思います。シリア、アフリカなどの子どもたちが苦しむ姿を。

 

報道されないところでも、世の中には色んな悲惨なことが起こっている。じゃあ、私たちは、私自身はどうすればいいのか。答えは簡単には出てきませんが、他者への想像力をもって、問い続けていきたいと思います。

 

連続して死にざま見せられ、残るのは......

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『生き物の死にざま はかない命の物語』(2022年)稲垣栄洋著 草思社文庫

 

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今日の一冊は、小学校高学年から大人まで楽しめる科学エッセイ。ベストセラー『生き物の死にざま』の続編です。なぜ続編から読んだかというと……単純に間違えたからです(笑)。

 

タイトルの通り、さまざまな生き物の死にざまが詰まったエッセイなので、順番は関係なかったので、ほっ。

 

コウテイペンギンツキノワグマというみな知ってる動物から、オビラプトル(恐竜)、ブロブフィッシュ(深海魚)というマイナーなものまで。生き物に興味なく育ってきた私にとっては、ウナギが南方から3000キロも旅してくるなんてシラナカッタ。聞いてたかもだけど、記憶になし。

 

それぞれの死にざまはもちろん興味深いのですが、圧倒されたのは、次から次へと死にざまを連続して見せられるから。死にざまが書かれたものはあっても、次から次へと、となるとやはり珍しいし、ああ、現代の私たちは死が身近じゃなくなってたなあ、って痛感します。生き物は人間含め、みんないつかは死ぬのに。致死率100%なのに。ニュース、ゲーム、アニメ内ではたくさんの死を目にしても、なんだか、“自分ごと”とは実感できないのが、私含め、現代人なのではないかな、なんて思うんです。

 

そこで、思い出したのが中学のとき聖書の授業で習った“メメントモリ”というラテン語の言葉。あなたの死を覚えよ(いつか必ず自分も死ぬということを忘れるな)という意味。“死”を意識すると、不思議なことに“生”を意識するんですよね。いつかは死ぬ、じゃあ、いまをどう生きよう、って。その授業つまらなくて、つまらなくて(←大事なことなので2回言います笑)、ぜーんぜん内容覚えてないのに、この言葉だけは強烈な印象で記憶に残ってました。

 

著者も書いていましたが、生き物たちが“いま”しか生きてないと比較して、私たち人間は過去や未来にばかり目を向けて“いま”を生きることを忘れがち。それは“死”を自分ごととして意識することが少ないからなのかもしれない、そんなことを思います。でもね、これだけ、すべての生き物が死に向かっていることを目の当たりにすると、なんだか腹くくれる気がするんです。来るべきときが来たらジタバタせず迎えたいな、って。さあ、そのために、どう生きよう。

 

正直、理系的な興味は私にはないので、面白い!と思っても、読んだそばから、知識としての生き物たちの死にざまは忘れていきます。テストされたら赤点レベルに自信アリ!です(笑)。知識としては残らないけれど、“生き物の神秘と不思議”への何とも言えない感慨深い思いは心に残る。これが大事なんじゃないかな。

 

著者である農学博士稲垣栄洋氏は、面白おかしく書いてるわけでもなく、どちらかというと淡々と、でもその死にざまに対する自身の思いも主張しすぎない程度に書かれています。読み物として興味深いので、ぜひ!

短いけれど珠玉

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『夕ごはんまでの五分間』(1996年)イヴァ・プロハースコヴァー著 平野卿子訳 偕成社

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今日の一冊は、思いがけずよかったコチラ!

 

全然情報なしに出合って、思いがけず良かった物語に出合えたときって、うわあと嬉しくなります。今日の物語は、短編というのか、文字多めの絵本というのかな。大きな字でたったの60ページなのですが、心の深いところに届くとっても素敵な物語でした。

 

もうね、出だしから心つかまれました。

 

冬の一日ってほんとうにみじかい。まるでメリーゴーラウンドにのっているみたいです。お日さまが屋根のむこうにしずんだかと思うと、まってましたとばかり、夕ぐれが部屋のなかに流れこんできました。夕闇はぎょろ目の大きな青いおさかな。にらまれたらさいご、だれでもたちまち目がとろんとしてしまいます。(P.3)

 

こんな風に始まります。

そこから夕飯ができるまでの5分間、主人公の女の子バベタはおとうさんに、お話をねだるんです。たいせつな話を。

 

そう、それはバベタの誕生をめぐる物語。何回も聞いているのでしょう、バベタはそれでも聞きたいのです。なんて、なんて優しくて愛しい物語なんでしょう。涙してしまいました。

 

バベタとお父さんは血がつながっていません。お母さんと出会ったときは、お母さんのおなかの中にはバベタがいたのですが、血のつながったお父さんとは別れることに。

 

悲しむお母さんを前に、近所の紳士マトハラさんはこう言います。

 

世の中に、父親はひとりしかいませんかなあ?父親なんて、山ほどいますがなあ。(P.15)

 

そして、バベタはみんなに喜んで迎え入れられるんです。

 

ところが、今度はバベタの目が見えないことが発覚。でもね、バベタは違う方法で、ちゃーんと見えていたんです、すべて。

 

家族ってなんでしょうね?血のつながりって。

 

心の奥深くがじーんとしました。

私の周りには養子を育てている人も何人かいるし、うちも児童養護施設の子のホームステイをしていた関係で、血のつながりについて考えさせられる機会が多かったせいか、この物語は、とてもとても響きました。

 

こんなに短い物語なのに。表現も詩的で、染み入る。大切にしたい物語です。