Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

何度もやり直せばいい

『工房の季節』(2025年)ヨン・ソミン作 朝田ゆう訳 講談社

今日の一冊は、韓国から。帯に書かれていた

 

“何度も作り直せばいい。器を焼くことは心に明かりをともすようなもの”

 

“手を動かすこと食べること。それが力をくれる”

 

という言葉に惹かれて手に取った一冊。

児童文学というくくりではないのですが、進路に悩んでいる高校生や大学生にも勧めたい物語だったので、ご紹介。

 

予想通り、ゆっくりとした時間の流れる、素敵な物語でした!
恋愛要素もちょっと入っているのですが、大人の物語にありがちな感じではなく、いまどき珍しく奥ゆかしいというか、実に安心して読めました笑。

 

最近、YA(ヤングアダルト、中高生向きの小説)は現実社会や学校や家庭の苦しい人間関係が描かれるものが多くなってきて、正直息苦しく感じることもあるんですよね。それは、きっと人間関係だけにフォーカスされてるから。

 

ところが、あら不思議。そこに身体を使ったこと、手仕事や料理なんかが入ってくると、とたんに息がしやすくなるんです。

 

この物語は、主人公ジョンミンが、バリバリに働いていたブラックな職場環境を辞め、カフェと間違えて入った陶芸教室に偶然出会うところから始まります。半引きこもり状態になっていたジョンミンは、料理はおろか、生活にまつわることすべてに何もやる気がでない。そんな中、その陶芸教室に集う年齢もバックグランドもさまざまな人々と出会い、ジョンミンは流れに身を任せ、陶芸教室に通うことを決めます。すると......

 

何かを学ぶと決めただけで全身にこんなに血がめぐるとは思わなかった(P.22)

 

いままで目が死んでいたジョンミンに血が通い始めるんですね。

そう、まず“決める”こと。“決めるだけ”で、何かが変わるんです。

意識が変わると世界がまわり始めるってこういうことかあ。

自己啓発系の本でよく言われるところだけれど、こうやって物語で追体験できると実に腑に落ちる。

 

きちんとした食事を、きちんとした器でとる。手を動かす。多様な人々とゆるやかに交流する。そうやって、少しずつ少しずつ大切なものを思い出していく。

 

やがて、陶芸は「土を形づくる」のではなく、「土を触る」だけでいい、と気付くジョンミン。土はやり直しがきく。1250℃の温度で二次焼成されるとき人間ができるのはただ待つことだけ。人間が作っているようでいて、人間のコントロールを越えたところがいいんですよねえ。

 

頭だけで考える、心だけで感じることをやめる。

そして、手を動かす、五感を働かす。

 

陶芸を教えてくれているジョヒはこんなことを言います

 

「焼き物を焼くことは、心を焼くことと同じ。不格好で鈍感な土を手で整え、愛情をこめて見つめれば見つめるほどきれいになって、大切にできるようになる。取り出してみるのが嫌なくらい醜い心も、ずっと見つめていればそこに何かがあるのかちゃんと見えてくる。憎しみしかないと思ってた心に愛情や思いやりがあるのがわかったりもする……。いろいろな感情がくしゃくしゃに丸まって隠れてるの。それがわかると、醜い心まで大切に思えるようになるのよ」(P.194)

 

醜い心も、全部全部抱きとめるんだなあ。
全部抱きとめることを思うとき、いつも『ゲド戦記』を思い出します。真理。

 

また、一年の最後に「未完成の焼き物は全部割る」という慣例があるのですが、割ってしまうのはむなしくないか?とジョンミンは聞きます。未完成とはいえ、せっかく心込めて作ったのに割っちゃうの?ってそりゃなりますよねえ。

それに対する教室仲間のギシクはこんな風に答えます。

 

「また焼けばいい。だから、焼き物にひびが入ったり割れたりしても大丈夫なんです。焼きつづけるから。焼き物も人間も一度だけで形づくられるわけじゃない。むしろ何度も焼いたもののほうが価値があります」(P.248)

 

そう!一度だけで形づくられるわけじゃないんですよね。コスパタイパで焦る人が多いけれど。人生にひびが入ってしまったジョンミンだからこそ、余計にこの言葉は響いたと思います。

 

最近、息子たちを見てても思うんですよね。若者よ、どんどん失敗せよ、って。

失敗というか、思い通りにならない予想とは違った経験を重ねてほしい。

そうすると人にも優しくなれるし、謙虚になれるから。

そして、何度でもやり直せるし、どこまでも成長することができることを知ってほしい。自分も色んな黒歴史を重ねてきたなあ、って我が身を振り返って思います。

 

ああ、陶芸をしてみたくなりました!

疲れた大人にもおすすめの、再生と希望の物語です。ぜひ。

 

※五感を使う体験なら、こちらもよかったら。
3月のPocket Garden Books&Cafeでの手仕事会、ミニチュアかご作りです↓

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手仕事テーマで見えたものは、他者への想像力だった

薔薇のアップルパイを焼きました♪

今日はテーマ読書会でした。

読書会って読書家の方たちが集まるんでしょう?あんまり読めてないし、話についていけなさそう……。そんな声をよくお聞きします。
確かに、そういう会もありますが、私が主催するものは、とってもゆる~い感じ笑。

読んでなくても、何も紹介できるものがなくても、聞いてるだけでも大丈夫なタイプです。

 

実は、キャンセルが相次いで、ちょっとへこんでいたのですが、5~10年に一度しか咲かないと言われている(ネット情報ですが笑)幸福の木の花が今年初めて開花したんです。夕方から開花するので、今日参加された方たちは、みなさん途中から急に甘い香りが漂い始めて、びっくりされていました!この開花に立ち会うと、幸運が訪れるんだそうです。

幸福の木、正式名称はドラセナらしい

 

さて、読書会に話は戻りまして、今月のテーマは、“物語の中の手仕事”

なんと、みなさん繕いたいものを持参し、各自繕いながらおしゃべりするという初めての試み!

 

繕いものをしながらの、おしゃべりといえば、やっぱり私の中では『赤毛のアン』なんですよねえ。原点。

挿絵がホントに素敵なんです✨

今や絶版のこの『赤毛のアンの手作り絵本』3冊セットは幼少期に何度も何度もページをめくった宝物。亡き母がアンに心酔していたので、リクエストすればここに出ているものはよく作ってくれて、それも懐かしい思い出です。

 

そのほかにも、児童文学は手仕事の宝庫なので、もう紹介したい本がありすぎて困りました笑。ターシャテューダのこちらなんて、もうすべてが手仕事の世界ですよね。絵を眺めているだけでうっとり。12ヶ月分の暮しが描かれているから、毎月うっとり。一家に一冊!って思います笑。

『輝きの季節』(1999年)ターシャ・テューダー絵・分 食野雅子訳 KADOKAWA

 

もうちょっと原始的なものとなると、ラップランドの遊牧民サーメたちの暮しを描いたこちらも素晴らしい。骨の髄まで食べたり、トナカイの脳みそでパンケーキを焼いたり。ワックワクが止まらない!

 

『ゆきとトナカイのうた』ボディル・ハグブリンク作・絵 山内清子訳(2001年)ポプラ社

ベネッセから出て、ポプラ社から復刊したものの、現在また手に入らない状態。

復刊してほしい素晴らしい絵本です。

 

さて、今日さらっとしか紹介できず、私の中で不完全燃焼だったのは、こちら↓

安房直子さんの短編集には、さまざまな手仕事が出てきます。

もうね、大好きなんです。どのお話も。

 

安房直子さんの世界は、優しいだけじゃない、ちょっとだけ暗さがあったり、人間の性(サガ)が描かれていたり。日常の延長線上にあるファンタジーというか、“あわい”の世界を描いているところに、何ともいえず救われるんです。そして、手仕事がよく出てくる。しかも、繕い物系が多くて、ああ、いいなあ、って思うんです。

 

いまの私たちは買って、ダメになったらサヨナラ、というパターンが多く、単なる“消費者”になってしまっている。それは、他者への想像力の欠如にもつながってるよね、という話にもなりました。すごく考えさせられました。

 

3月の読書会も2種類。

サイレント読書会と、テーマ読書会(春から何を連想する?)です。

もし、ご都合あえばぜひ。

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小説と児童文学の違いって......?

飛ぶ教室』(2006年)エーリヒ・ケストナー作 高橋健二訳 岩波少年文庫

今日は改めて、児童文学と小説の違いって何だろうと考えてしまったので、そのことについて。

 

先日とある人気作家さんの小説を読んだんです。

舞台は男子校の寮。年末年始に帰宅しない子たちが一緒に過ごす数日間。

思春期のヒリヒリ。

ちょっと謎めいた展開もあり、一気読みでした。面白かったです。

 

やっぱり、どんなに学校で一緒に過ごしていても、同じ釜の飯囲んで夜も一緒に過ごすと違いますよね。いつもと違う条件、メンバー、環境になると、相手への理解度がぐっと高まるから不思議。

 

普段“キャラ”というものに押し込められていたもおのが、崩れたり。

ああ、たった数日でも人間関係は変わるし、分かり合えたりするんだなあ、と最後はちゃんと希望のある物語でした。

 

でも、なぜだろう。

同時になぜか後ろめたさのようなものも感じてしまったんです。

なんだろう、生々しかった。

 

時代設定は違うけれど、同じく有名な男子校の寮の物語といえば、児童文学の分野では、ケストナーの『飛ぶ教室』。こちらだって、現代では考えられない殴り合いが出てきたり、まあ大人からすれば結構ひどい場面も出てきて、前述の小説に負けず劣らず、しっちゃかめっちゃか。でも、後ろめたさは感じないんです(個人的には)。

 

私の中では、前述したお話は“小説”であり、『飛ぶ教室』のほうは“児童文学”。

 

だから、なんだ、って話なんですけど、読み終えた後に残るものが何か違うなあ、と改めて感じたのです。

 

前者の小説では、複雑な家庭環境が描かれたり、各人の内面にもちょっと踏み込んだりするんですよね。それが、なんだか見てはいけないものを見てしまったような……彼らの聖域を犯して、彼らの物語をエンタメとして消費してしまった気がして、後ろめたかったのかもしれません。

 

一方で、児童文学といわれる物語たちは、複雑な家庭環境も出てくるし、心の葛藤も出てはくるけれど、わりとさらっと描かれていることが多いように思います。

さらっと描かれてるから、人によっては読んでいて児童文学は物足りなく感じるのでしょう。

 

でも、描かれていない部分を自分で想像する余地があるんです。

行間を読むから、さらっとしてても心に深く残るのかもしれない。

 

ただ、うちの子には『飛ぶ教室』は読みづらい。最後まで読めない。

と言われました。

 

小説には小説の良さがある。

大人のものはお好きにどうぞ、なんですけど、子どもが出てくるもに関しては、色々考えてしまうのでありました。

 

 

 

ファンタジーだからできること

『奇妙でフシギな話ばかり』(2025年)ブルース・コウヴィル作 金原瑞人訳 橋賢亀絵 岩波書店

今日の一冊はこちら!

帯に訳者の金原さんが“ずっと訳したかった”と書かれていたので、気になっていた一冊でした。

 

装丁もおしゃれで手に取りやすい。

短編集なのでサクサク読めるし、短編がゆえに、ファンタジー苦手な人でも、すんなりとその世界観に入れそう。

 

天使、ユニコーン、吸血鬼、小人にオオカミにエルフ。

楽しい話、ちょっと怖い話が9つ入っています。

 

特に惹かれたのは怖い話の方。すごくダークというわけでもないんですけど、どこか陰りも帯びていて、そこがすごくいいんです。陰陽のバランスとでもいいましょうか。

 

陽だけでも疲れるときってありますよね。かといって、現実的なことばかり見せられても、確かに自分の気持ちを代弁してくれてるところはあっても、なんだか疲れるし希望がない。

 

ところが、不思議。

ファンタジーで人間以外の世界も見せられると、いわゆる希望の話じゃなくても、なんか力がもらえるんですよね。

ああ、現代に足りてないのは、こういう物語なのかも、って思うんです。

 

なかでも印象的だったのは、ユニコーンの物語。

自分が何者だったかを忘れていた少年が、いままで生きづらかったのは、孤独だったのは、本当の自分の姿を見失っていたからと気付く物語なんです。

 

ここまでだったら、よくあるストーリーかもしれません。

でも、この物語はもう一歩踏み込む。

普通の物語だったら、“敵”や“悪者”として描かれる登場人物たち、彼らもまた光輝く存在だ、としているんです。自分では気づいていないけれど。

ここまで踏み込んでいるのは珍しい。私たちは、誰もが光輝く存在、そんな深いことを語る。わずか20ページで。

 

ファンタジーだからできること。

 

そのほかにも、オオカミの物語など、短編ながら壮大な物語が広がります。

オオカミと一緒に森を駆け抜ける感覚を味わえる。

こういう物語をときどき読み返すと、心が整う気がしました。

読めてよかった。

 

ぜひ。

 

 



自分もつながってみたくなる物語

『言葉の園のお菓子番』ほしおさなえ著 だいわ文庫

今日の一冊は、連句会がテーマの物語。

連句会、気にはなっていたんです。

うちの父は最初短歌から始め、俳句に移り、今は連句沼にどっぷり。

とにかく連句が楽しい!と、京都で毎年開催されている連句会に、旅行がてら孫(うちの子)まで参加させるくらい。

気取らず、お酒なども飲みながら気楽にできるのも気に入ってるそうな。

 

連句は、その名の通り、句をつなげていくんですね。

一人の作品ではなく、みんなで作っていくから面白い。

 

ほしおさなえさんの書く物語は、いつもあたたかく、押しつけがましくないのが好きです。

 

軽めの文章でサクサク読めるけれど、決して浅くはない。

書き留めておきたい言葉がいっぱい。

 

主人公の一葉(かずは)は書店員だったのですが、お店が閉業してしまい、職を失ってしまうところから物語は始まります。

亡くなった祖母のノートに挟まっていた、一葉への伝言。

それは、祖母が通っていた連句会にお菓子を持って行くこと。祖母は、その連句会のお菓子当番だったんですね。

 

こうして、一葉も連句会に通うようになっていくのですから、不思議ですよね。

人って亡くなってからのほうが、その人とコミュニケーションを取れるような気持ちになることってありません?そのとき伝わらなかった想いが、亡くなったあとのほうがすっと通じていくというか。

 

この物語は、連句の物語でもあり、一葉がご縁がつながって仕事を作っていく話でもあり、そして何よりも亡くなった人とつながる話。

悲しみに寄り添うグリーフケアというより、ほんのちょっとの寂しさや、小さな後悔にそっと寄り添ってくれるような、静かにしみていく感じがいいんですよね。

感情がゆさぶられるというよりも、ああ、そうだったのか、という静かな気付きと受容。なんだか慰められます。

 

話変わりますが、最近私の周りでもChatGTPが相談相手という人が増えてきました。

分かります、人には言えない話ってありますもんね。特に身内の話なんか。

価値観入らないし、とにかく肯定してくれるからなぐさめられる、って。

 

でもね、こういう物語を読むと、やっぱり人と人のつながりっていいなあ、ってしみじみ思うんです。この連句会、似たような立場、境遇じゃない人が集まっているというのもいいのかもしれない。

うらやましいな、こういう集まり。

お菓子も毎回毎回美味しそうだし(←重要!)。

 

シリーズものなので、まだまだ続くのが嬉しい。
疲れているときに読むのもおすすめです。

 

※今週末1月31日(土)の読書女子会、まだ空きございます!
聞いてるだけでも大丈夫なお気軽に参加できる会です。
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※ブックカフェの日々はnoteの方に書いてます。

そちらも、よかったら↓

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タイムトラベル専門書店でひと息

なんて立派な門構え......!

昨年末、わっくわくでタイムトラベル専門書店なるところに行ってきました!

 

場所は東京都板橋区

都営三田線志村坂上駅から徒歩3分。

初めて降り立つ駅にドキドキ。

 

書店があるのは、江戸初期からこちらの土地で続いている蓮沼家の東ノ蔵を改装されたそうです。

 

門をくぐると立派な建物が......!書店はこの建物の向かい

ここがタイムトラベルへの入り口

梁っていいですよね

中にはめちゃめちゃな時刻を指している時計があちらこちらに。
違う時間の流れを感じる工夫が。

あ、うちにもそういう時計あるから、うちもタイムトラベルできるということでいける!?

 

選書はもちろん、タイムトラベルはじめ時間に関するものがメイン。

児童文学も少しあったけれど、あれもこれもタイムトラベルものなんだけどなあ。

置いてもらいたいなあ、なんてつい思ってしまいました。

 

 

買ったのは、店主さん激推しの一冊。

こういうのずーっと読んでこなかったから、なかなか読み進まない(笑)。

すっかり児童文学体質になってしまっていたのでした。

 

専門書店って、世界観が作られていていいですよね。

こういう専門書店がちょこちょこ色んなところにあったら楽しいんだろうな。

 

そして、やっぱり空間の力って大きい!

五感で味わう読書。

板橋方面に行くことがあればぜひ。

動物の視点から世界を見つめ直す

『黒馬物語』(2024年)アンナ・シューウェル作 三辺律子訳 光文社古典新訳文庫

 

いつの間にか2026年も始まっていました!
相変わらずのんびり屋の私ですが、今年もよろしくお願いいたします。

さて、午年の新年最初に手に取ったのは、馬関連が読みたかったので『黒馬物語』。

私が読んだのは、いまは品切れになっている岩波少年文庫版(土井すぎの訳)のほうですが、三辺律子さんの新訳のほうも読んでみたいなあ。

 

傑作と言われている古典文学であるこちらなのですが、実は過去に読むのを一度挫折しているんですよね。動物がしゃべるのって、なんか苦手で......。

 

でも、せっかくの午年だし、とちょっと我慢して読み進めました。

そうしたら、何ということでしょう。確かにこれは、名作でした!

 

読み終えたあとに静かな感動があります。ちょっと苦手だからといって、途中でやめてしまうのはモッタイないんだなあ、と改めて痛感させられました。午年だから読む、とかそういう”縛り”みたいなものも、自分では選ばない本に出合わせてくれますよね!

干支があって、よかった(笑)。

 

主人公は人間ではなく、馬。

ブラックビューティーと呼ばれた馬の視点から語られる、馬自身の生涯の物語です。

いやあ、ポールギャリコの『猫語の教科書』を読んだときも、本当に猫自身が書いたのでは?と思ったけれど、今回も同じくでした。馬自身が書いたとしか思えない。そのくらい、リアリティがあるんです。

 

舞台は19世紀後半の英国。まだ車もなく、馬車が活躍していた時代のお話です。

それにしても、馬があんなに点々と色んなところに回されるとは知りませんでした。
もちろん、名馬であればずっと同じご主人のもとにいられることもあるのでしょうが、色んな事情が重なり、飼い続けられなくなるんですよね。

 

主人公のブラックビューティーは前半は恵まれた環境にいて、大切に育てられます。

やっぱり人もそうですが、幸せな幼少期を過ごしてるって強いな、ってしみじみ思わされました。育ちがいい、っていうんでしょうか。ブラックビューティーがのちに仲良しになるジンジャーという馬は、ひどい仕打ちばかり受けて育ってきたので、性格も攻撃的になってしまっていたんです。でも、やっと心ある人々に世話されて性格も柔らかくなっていくんですね。いろいろと人間に置き換えて考えさせられます。

 

そう、これ馬の視点の馬の物語だからいいんです!

純粋に馬が何をどう感じているかが手に取るように分かるというのもいいのですが、人間に置き換えると、という他者理解や気付きもまたいっぱいあるのがいいんですよね。直接的じゃないからこそ、響くというか、自分で気づかされるというか(←自分で、というところが大事!)。

 

この物語には、馬に対して酷い扱いをする乱暴な人間もたくさん出てきますが、同時にこんなにも心ある立派な人もいるんだ、という紳士、貴婦人も登場します。例えば、馬に対して酷い扱いをしている御者に対して、こんな風に声をかけるんです。

 

......そんなに癇癪をおこして、おまえは、じぶんの馬を台なしにするのと同様、いや、それ以上に、おまえ自身の人柄を傷つけるのだ。それから、おぼえておくがいい、われわれはみんな、じぶんのしたことによって裁きをうけなきゃならんのだ。人間に対してだろうと、動物に対してだろうとね。(P.82)

 

また、社会的弱者と呼ばれる人たちでも立派な生き方をしている人たちも出てきて、それが何ともいえずよくて心に残るんです。楽じゃなくても誠実な人生を選びたい、仕事は最低限でもいいから家族との時間を大切にするほうが大事よね、そんなことに気付かせてくれます。いろんな人生模様も見れて、なんだかしみじみしてしまう。

 

これは一頭の馬の自叙伝ですが、当然馬たちの運命は人間の手の中に握られていて、決して自分たちでは選べません。でも、その中でベストを尽くそうとする馬たちがもう健気で。人と動物の付き合い方についても考えさせられます。実際、この物語のがきっかけで、馬にとって苦痛な馬具の装着が廃止されるなど、その影響力は相当のものだったとか!

 

すごい。

やっぱり、物語が人の心を動かし、行動へと駆り立てるんだなあ。

みんなが、ブラックビューティーに感情移入できたからこそ。

 

一度は読んでおきたい、古典名作というのに納得でした!