基本、毎週月曜日の19時~21時頃に投稿しています♪
Facebook『大人の児童文学』ページもよかったら
きまぐれ更新Instagramでは、児童文学以外の本などを紹介中
今日の一冊は、森の表紙とタイトルが気になって手に取った一冊。映画化もされた『ギヴァー 記憶を注ぐ者』シリーズ四部作の第三作目。それを知らずに読み始めてしまったのですが、突然これだけ読んでも大丈夫でした!
うーむ、これは……非常に問いかけられる物語です。
この謎は?これは結局何だったの?など色々回収されないまま、分からないまま終わるところもあるので、スッキリしないという人もいるようです。が、私はだからこそ読んだ人それぞれが色んなことに当てはめて考えられる、問いかけられる物語になってるなあって思いました。読書会の課題図書とかにして、話し合ってみたくなる、そんな物語。
舞台は、人々が助け合って平和に暮らしている森に囲まれてたとある村。
森に囲まれて、というと森の恵みを想像していたのですが、この物語に出てくる森は敵対心を出してくる、人を寄せつけないこわいところ。なぜ森がこうなってしまったのか。この物語の中では、その謎は明かされません。自然を大切にしない現代人への警鐘?徐々に変わっていく村人たちの心の中の悪意を反映してしまった?分かりません。
主人公の少年マティは、目の見えない老人と血は繋がってはいないものの、まるで親子のように暮らしています。村の人々は、もともとは遠いそれぞれの故郷の村でツライ思いをし、逃げてきた人たちなんです。自分たちもツライ思いをしてきたので、逃げてきた人をいつもあたたかく迎えていたのに、あるときから村に壁を作り、これ以上人を受け入れないということを決定してしまうんですね。
なぜ寛容だった人々は不寛容へと変貌してしまったのか。
そのカギを握るのが、トレードと呼ばれる異様な集会。ここでは、何かと交換することで人々はほしいものを手に入れられるのですが、一度手にしてしまったら、次は......と欲望が止まらなくなってきているようなのです。何をトレードしているかは、謎に包まれたままなのですが、モノを渡しているわけではない。どうやら、自分の心の中にある良心と引き換えにしてしまってるようなのです。どんどん思いやりを失っていく人々。
ここは、本当にゾッとします。現実世界でも私たちは自分たちでも気づかないうちに、実は色々なものをトレードで失っているんじゃないか、と思わされたから。競争、偏差値重視の教育で失ったもの、ネットで情報が簡単に入手できるようになったことで失ったもの、便利と思える家電生活で失ったものetc.etc.
何がコワいって、失ったものを当の本人たちが自覚していないところなんですよね。
村に壁を作ることもヒドイと思うけれど、じゃあもし自分の住んでいる地域に難民が押し寄せてきたら?複雑な思いなしに、本当に歓迎できる?数人ならいいけど、次々と来たら?と考えると、他人事じゃないです。
ただ、この後四作目が発刊されていて、そこでトレードの謎も明かされるみたいなので、上記感想は、あくまでもこの巻だけを読んで感じたことです。
ラストは個人的には、そうであってほしくない終わり方でした。
ネタバレに触れるので、ここから先はネタバレOKな方だけお読みください。
一人の犠牲が世界を救う。
そこにすごく感動する人もいるのだろうけれど、西欧的だなあ、って個人的には残念に思ってしまいました。キリストになぞらえてるのかな……。
日本でも、ちょっと前のアニメの世界では、典型的なラストエンド。
でも、時代は令和。
新海誠監督の『天気の子』が提示したラストは画期的だったな。
誰かが一人犠牲になって救われる世界は......避けれるなら避けたい。
やっぱり1巻から読もうと思います。
色んな問いかけをくれる物語でした。