Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

想像力の欠如を自覚する

『ただ、見つめていた』(2017年)ジェイムズ・ハウ作 野沢佳織訳 徳間書店

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jidobungaku.hatenablog.com

 

今日の一冊は、後味はそんなによくはないけれど、“外側から見えていることだけが全てじゃない”ということを実感できる一冊。

 

ロングセラーだという一文に惹かれて、図書館で手に取りました。短めですぐ読めます。家にお迎えして、何度も読み直したいか?と問われれば、うーん、なのだけれど、図書館(特に学校)には置いててほしいなあ、と思いました。

 

なぜか。

 

SNS時代の今、自分も含め、あまりにも“点”の情報だけで全容を決めつけがち。だから、たまにこういう物語に出合うと、ハッとするんです。登場人物それぞれの視点で話が変わるので、混乱する、分かりにくい、という声もあるようですが、人の心の中って、やっぱりその人の視点にならないと分からないからなあ。だから、図書館には置いてほしい。

 

舞台は、とある島の夏のビーチ。いつも同じ場所で、ただただ見つめているミステリアスな少女がいます。少女が眺めているのは、いつも優しく妹の世話をしている兄のいる幸せ家族、そして金髪イケメンのライフガードの青年。二人とも彼女の視線に気づいてはいたけれど、自分の抱える問題でいっぱいいっぱいで関わろうとはしていなかったところに、事件が起き……。という内容。

 

幸せそうに見えても、誰がどういう悩みを抱えているかなんて、見えないことも少なくない。他者への想像力がただでさえ欠如していて、点で判断して分かった気になりがちだからこそ、こういう物語を読みたいと思うのです。

 

で、”想像力の欠如”といえば、話は飛びますが......。

テレビドラマで実写化された漫画原作者が、脚本改変を巡るトラブルで命を絶った、という痛ましいニュースをご存知でしょうか。あまりドラマ見ないのに、珍しくTverでこのドラマは見ていて、トラブルの経緯を見守っていた中でのニュースだったので、もうショックでショックで。

 

日本にある色んな問題が、この事件に凝縮されているような気がして。クリエイターを軽んじる日本の風潮、大企業の体質及び構造問題、弱いものへの責任転嫁、問題をすりかえる風潮、忖度、コミュニケーションの断絶、SNS問題などなど。色んな記事を読んでは、考え、自分に問い続けています。

 

テレビ局側の血の通わないコメントには、本当にがっかりし、憤りすら覚えました。でも、危機管理的にはあれは正しいのだとか。正しい......それはときに冷酷ですね。

 

そもそも原作があるものの実写化には、こういったトラブルは珍しくないそう。トラブルが多いと知りつつ、それでもオリジナル脚本によるドラマではなく、漫画原作が企画を通りがちなのは、企画判断側にも想像力が欠如しているから、という記事を読み、ナルホドなあって思ったんです。時間もない、オリジナルの企画を発案されても、提案された側にはイメージしにくい。その点、漫画原作ものは読めばイメージが分かるし、人気も保証されている。視聴者側も作り手側にも想像力が著しく損なわれているから、既知のもの(原作もの)がドラマ化しやすい、と。

 

想像力の欠如

 

これなんですよね。想像力さえあれば、テレビ局側はあんなコメントは出さなかったはずだし、そもそもこのトラブル自体起こらなかった。いや、トラブルは起こったかもしれないけれど、少なくとも歩み寄りはできた。

 

まずは、“ああ、自分も想像力が欠如していた”と自覚するところから。だから、私の場合は本を読む。今日の一冊は、そんなことを自覚させてくれる物語でした。