Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

人生の楽しみ方を習いたいならコレ!

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『バッタを倒しにアフリカへ』(2017年)前野ウルド浩太郎著 光文社新書

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理系ものがとにかく苦手な私、マリス博士(コチラ参照)が面白かったので、気をよくして次の理系ものに手を出す。

 

こ、こ、これは......!もはや、理系とか文系とかいう括りではない。人生劇場エンターテイメント化という括り(笑)。いやあ、面白かった!!!

 

読む人、読む人、“面白かった!!!”ってキラキラした顔で言うんです、だからきっと面白いんだろうなあ、とは思ってた。でも、バッタ興味ないし、むしろ避けたいし。というわけで、気付けば、読むまでに4年以上の月日が流れていました。

そして、昨年、魅惑の宝庫☆冒険研究書店さんに寄ったときに、ようやくコチラの本を次男用に連れ帰ったというわけです↓

jidobungaku.hatenablog.com

 

もう表紙だけで笑えてきますよね(あ、このバッタ人間、博士ご本人ですからね)。

裏表紙には、あやしすぎる全身緑タイツで両手を天にあげ、

 

“バッタに喰われにアフリカヘ 

その者 緑の衣を纏いて

砂の大地に降り立つべし……“

 

とのお言葉。って、ナウシカパロディかい。もう、大好き。

 

大の大人が、全力で大真面目に遊び心をもって夢に邁進している。

そう、これはウルド版君たちはどう生きるかなのです。

もはやバッタとかあまり関係ない(いや、大いに関係はするけれど)。バッタの研究書ではなく、夢をかなえるための悩み、もがき、苦しみ。それらがユーモラスに語られてる。とにかく、逐一(ホント、逐一)例えや書き方が面白い!!!芝居がかっているから、人生劇場。

 

感心してしまいました。人はここまで、人生楽しめるものなのか、と。逆境をも楽しむ。“人の不幸は蜜の味”という法則に気付いて、自分の不運を逆手に取って、無収入から脱却していく著者。あっぱれです。笑いっぱなしでしたが、最後には胸にこみあげるものもありました。いつの間にか、思っていた以上に感情移入して著者を応援してたんですね。

 

“推し(著者の場合はバッタ)”がいると人生はこんなにも輝く。

妥協せずに夢を追いかけると、自分のやりたいことにフタをせずに生きていけば、人生はこんなにも豊かになる。ふさがれているように見えていた道をも開けていく。

 

多くの人が、この本の感想を語っているのでここでは多くは語りませんが、どの人にも必ず響くところがあると思います!ちなみに小学生バージョン(小3以上で習う漢字にすべてかながふってある)には、新書版にはないエピソードも2つ加えられているそうです。そのエピソードも読みたいなあ。だって、逐一面白いんだもん。あー、著者の講演聞きに行きたい!ブログも面白いです↓

otokomaeno.hatenablog.com

 

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『ウルド昆虫記 バッタを倒しにアフリカへ』(2020年)前野ウルド浩太郎著 光文社

 

いやあ、明るい気持ちになれる。すごい!なんて、晴れ晴れとした気分なんだろう。

人生楽しんだもの勝ち。逆境もすべて、ああ、こうやって、人生楽しめばいいんだなあ。子どもたちにも大人にも手渡したい1冊です。

悲しみのうちにある人へ

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今日は過去記事からご紹介。

 

1年前のいまごろ、人生のお手本にしたいような友人がこの世を去ってしまって、私は茫然としていました。人にもあまり言えず、毎日毎日なんで?どうして?を繰り返し、自分はもちろん去ってしまった彼女にも腹が立ち。悲しいと同時に毎日怒ってた。

 

神さまに対しても怒ってた。何も彼女じゃなくてもいいじゃないか、って。順番が違う、早すぎる、って。

 

でも、毎日毎日問いかけたことで、少しずつ色んなことが見えてきて。自分のすべきこと、方向性、受け継いでいきたいものも見えてきた(見えてきただけで、いまだ実行できていないけれど)。

 

毎日毎日、この地球上で誰かしらは亡くなっていて、悲しんでいる人が必ずいる。死は誰にでも訪れることだけれど、やっぱりそう簡単には受け入れられなくて。

当時、私の心をなぐさめてくれた本を過去記事から二つご紹介しますね。慰めを必要としている人に届きますように。

 

jidobungaku.hatenablog.com

 

jidobungaku.hatenablog.com

 

本を読む気がおきないという方には、しつこいようですが、藤井風の”帰ろう”と”旅路”をセットでどうぞ。コメント欄読むと、本当にみなさん人生色々抱えてるんだなあ、ってしみじみします。

 

www.youtube.com

 

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私もそろそろ与える側にまわりたいです。まだまだみなさまから与えられてばっかり。

これからも、色々とあるだろうけど、うん、どう生きていこう。

 

目からウロコの連続!

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『マリス博士の奇想天外な人生』(2004年)キャリー・マリス著 福岡伸一訳 ハヤカワ文庫

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今日の一冊は、文学ではなく自伝。

学生時代(しかも、できれば中高時代)に出合っていたら、進路とかその後の世の中の見方とかずいぶん変わっただろうなあ。だから、ご紹介。

 

マリス博士って誰?

いま耳にしない日はない、PCRを開発してノーベル化学賞を受賞した博士(サーファー)です。

 

いやあ、面白い!!!!!

中1次男が読みたいというから、どれ先に拾い読みしてみますか、とページをパラパラめくったが最後、一気読みでした。私は、理系というだけで拒否反応を示すくらい、理系関連のものが苦手。全然、頭に入ってこないし興味も湧かない。そんな私が、読めた!!!というか夢中になれた。これは、驚くべきことでした。

 

だって、訳が福岡伸一さんなんです。訳もいいんですよねえ。物語としてもユーモラスで、面白い。ところどころ、吹き出して笑っちゃいましたもん。学生時代のときの話なんてね、『ゆかいなホーマーくん』的な児童文学を読んでるかのような気分です。小屋で実験して、失敗しても失敗しても、やめろと言わずに“気をつけてね”とだけ言って見守るお母さん。いやあ、お母さんが、偉大。

 

ただ、マリス博士は世間から見ると、いわゆるトンデモ博士です。危険人物視されちゃうのも分かる。こういう本は子どもには勧めたくない人多いだろうなあ。女遊びは救いようがないし(笑)、LSDはやるわ、あげくの果てに宇宙人と遭遇とか言い出すわ。さすがに、あやしすぎるでしょ(笑)。

 

でもね、読むと分かるのですが、この方ほど“正直”な方はいないよなあ、って。純粋に好奇心旺盛な、永遠の少年なんです。だから、科学の世界のうそっぱちをどんどん暴露しちゃう(そりゃ、危険人物視されちゃいますって)。不都合な真実を誰にも気兼ねなく言っちゃう。トンデモ扱いされるだろうけど、この方の発言に嘘はない、と私は感じました。

 

びっくりしますよ。

私たちが思ってた環境問題......問題が違うってところや、HIVに関するところなど。O.J.シンプソン事件のことも書かれているのですが、理系に疎い私は刑事事件のDNA鑑定って絶対だと思っていたから、目からウロコというか、シラナカッタの連続でした!ほんとうに、いかに自分が他人が作った(一部の人だけが儲かるようにできている)世界観の中で生きているかに気付かされます。もしかしたら、気付かないほうが幸せに生きれるのかもしれない。だから、大人としては子どもにこの本を読ませるか、迷うかもしれません。それでも、色んな角度から見る大切さを子どもに教えたいから、そして、その後は子ども自身が選び取ってく力があると信じているから、私は読ませたいと思いました。

 

あーあ、マリス博士が生きていたら、PCRがコロナの判定に使われてることに、真っ先にクレーム言っただろうなあ、と想像に難くない。私は陰謀論とか好きではないけれど、この自伝を読むと……ああ、マリス博士は消されちゃったのかな、っていう思いがよぎります。そして、PCRが利用されてるのをあちらの世界から怒ってるだろうな、とも。

 

実は、私はビビリなので、この本を紹介することで私にも”敵”が生まれちゃうのかなあ、とドキドキしてました。いや、でもなぜ?マリス博士の考えが正しい!!!と主張したいわけではなく、ほお、こちら側から見るとこんな真実もあるのか、ということが分るのが面白いんです。読んでどう思うかはその人次第。真実なんて、人の数と同じだけ、ありますよね。ただ、私は自分の人生を他人に利用されたり、他人の作った枠組みの中で生きるのはいやだなあ。

 

とにかく!物語としても面白いし、自分の見てる世界を疑ういいきっかけをもらえるので、おすすめです!あー、面白かった。次男の感想が楽しみ。

 

 

退屈してる中高生に

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スキャット』(2010年)カール・ハイアセン著 千葉茂樹訳 理論社

今日の一冊は、一気読みのコチラ!

こちらは翻訳者の金原瑞人さんが発行しているフリーペーパーBOOKMARKの“分厚い本特集”に掲載されていたものです。

 

そこにね、翻訳者の千葉茂樹さんご自身も読者になりきって一気読みとあって、こんなに面白いのにオトナの事情で重版予定なし、在庫も極希少、とあつたので、速攻お迎えしたというわけです。千葉茂樹さんがいうなら、間違いナイ。退屈している中高生にぜひ差し出したい一冊。

 

スキャット』あらすじ

ミセス・スターチ、学園内でもっとも恐れられている生物の先生が、ブラックヴァイン湿地での校外学習以降、姿を消してしまった。学園長からは、先生が家族の事情により、当分の間授業を休むことになったと説明があるが、ニックとマータはどうにも釈然としない。二人はクラスの問題児ドゥエーンがスターチ先生の失踪に、なにか関係しているのではと疑っていたのだが……。事態は二人の想像をはるかに超えて意外な展開に。謎の自然保護活動家、歌う代用教師、悪徳石油業者…、フロリダの雄大な自然を舞台に、絶滅の危機に瀕する野生のパンサーと強烈に個性的な大人たちの中で、ニックとマータの冒険がはじまる。

 

分厚い本とのことでしたが、なんのなんの。面白くて分厚さは全然感じなかったです!

いやあ、面白い。ミステリー要素もちょっとありつつ、ちょっと漫画チックな面白さとでもいいますか。一人ひとりのキャラがたってるんですよね。通常は善悪二元論になってる物語はあまり好きではないのですが、この物語の場合はその分かりやすい対立が爽快でした!登場人物も、まあ、エキセントリックなこと(だから、漫画チック)。こんな教師いないよね、とかこんなおバカな経営者いないよね、とか笑っちゃう。

 

個人的に一番興味深かったのは、友だちでもなんでもなかった問題児ドゥエーンを、一瞬でニックが信じるところ。噂じゃない、彼の目を見て信じるところ。ああ、いいなあ、って。

 

また、感心したのは、海外の絶滅危惧種に対する意識の高さ!『ミサゴのくる谷』を読んだときも思いましたが、日本の子どもたちはどれだけ知ってるのかしら......と思っちゃう。↓

blog.goo.ne.jp

 

YA(ヤングアダルト)小説にありがちな、学校内の人間関係だけに終わらないところもいいです。絶滅危惧種って、やっぱりロマンがある。人間だけが世界じゃないっていい!!!

 

エンターテイメント的な面白さがありつつも、父子の愛情や自然保護活動についても考えさせられる良い物語でした!

子ども最強

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『子ども、本、祈り』(2021年)斎藤惇夫著 教文館

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斎藤惇夫さんといえば、『ガンバの冒険』シリーズをはじめとした児童文学作家で、その前は福音館で編集者をされていた方。過去に何度か講演を聞きに行ったことがあるのですが、まあ、おしゃべりが好きでどこか飄々としていて何とも楽しい気分にさせてもらった記憶。

 

その斎藤惇夫さんが、喜寿を目前にご縁のあったキリスト教系の幼稚園の園長先生に就任したのです。子どもの本に関わることが天職だと思ってきたけれど、なんのなんの延長という仕事が天職だった!!!と、就任当時興奮して話していらしたのを覚えています。

 

この本は前半は、そんな天職である園長先生と子どもたちとの日々を綴り、後半はブックガイドになっています。ブックガイドの部分は詳しく、どんな塩梅で子どもに本を手渡していいかが書かれているので、参考になる人にはなるかも。でもね......、我が家の子どもたちは、そう簡単にはいきませんでした(小声)。

 

個人的に、吹き出しちゃうほど面白かったのは圧倒的に前半!!!新米園長の斎藤惇夫さんがもうおかしくておかしくて。子どもたちの前では常に”参ったなあ”状態の園長先生。若い先生たちからも叱られる叱られる、園長先生が。余計なことするから(笑)。それをね、神さまの前で嘆くという形で書いてるんです。神さまの前だから、立場もプライドもなく”お手上げですー!”と素直に嘆く姿がホントおっかしいんですよ。どこかコメディタッチで、読んでいてほっこりするんですよねえ。子ども最強。

 

そして、やっぱり宗教があるっていいなあ、ってしみじみ思いました。キリスト教じゃなくてもいいんです。人間を超えた存在があるというのが大事。そして、祈りをささげるというのがいいな、って。誰にも分ってもらえないとき、神さまは見ててくれるもん、と思えるのは強いですよね。

 

なんとも幸せな子ども時代を見させてもらって、幸せのおすそ分けをもらった気分になりました!

 

 

ほのぼのした気分になりたいときに

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『楽しいスケート遠足』(2009年)ヒルダ・ファン・ストックム著 ふなとよし子訳 福音館書店

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もう殺伐とした空気に嫌気がさして、ほのぼのした気持ちになりたくて手に取った一冊。ああ、もう、ほっこり。にごった心が澄んでいく~、これよ、これこれ。THE☆王道の古典児童文学。

 

舞台は80年前の真冬のオランダ。

16人の生徒と先生は、凍った運河を滑りながら、楽しいスケート遠足にでかけます。その途中にはさまざまな出会いが。そして、たどりついた先では、ちょっとした事件も起こり、新たな友情物語も。

 

とても短いお話です。幼年童話の部類に入るのかしら。遠足にでかける子どもたちは小学3年生。ちょうど同じ小3である三男にすすめてみましたが、全然興味を持ってもらえませんでした。ガッカリ。いいの、めげません。きっと今回はタイミングじゃなかっただけ。種まきは続けよう......。

 

運動音痴の私ですが、昔からスケートだけは得意だったんです。小学生の頃、箱根にある今はなき強羅国際スケートリンクへ遠足へ行った思い出があって、自然に囲まれた屋外で滑ったのが気持ちよかったなあ。ぐるぐる回るだけでも楽しいのに、この物語ではそれが運河で続いて知らない町まで行けちゃうんですから、それはもう興奮します!読みながら、一緒にびゅんびゅん風を切って走る気分を味わえました。

 

時代が違うので、いまだったらこんな遠足許されないのかもなあ、なんて思うと、余計にこの子たちがうらやましい。ただスケート滑るだけでも楽しいのに、景色がくるくる変わっていくんですよ?色んな人と出会って、途中で美味しい甘いもの食べたり熱々のココア飲んだりできちゃう(←大事なポイント)んですよ?急な来客(しかも16人+先生!)でも、動じなくておもてなししちゃう農家のおかみさんがいたり。最高じゃないですか!!!

 

まあ、時代が時代なので、教室の中でも男女別々に座らされたり、女子は男子よりもなんとなく地位の低さを感じたり……フェミニストの方が読んだら怒られそうでもあるんですけどね。今の時代に合わないという理由で子どもたちにおススメしないという人も多いようですが、なぜなぜ?こんな時代もあったんだなあ、って話すいいきっかけになると思うんだけどなあ。最後のオチには、私も心の中でツッコミ入れましたけどね。でも、そんなこと言い出したら、中川李枝子さんの『いやいやえん』だって、園児が親のお迎えなしで家に帰ってたり、いまでは考えられない場面ありますよね(笑)。

 

ああ、運河でのスケート遠足行ってみたいなあ。

冬を楽しむのにぴったりの物語でした!

それ思い込みかも?

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『月の光を飲んだ少女』(2019年)ケリー・バーンヒル著 佐藤見果夢訳 評論社

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今日の一冊は、なかなか示唆に富んだこちらのファンタジー

 

■あらすじ

物語の舞台は、とある悲しみに覆われた町。その町のそばにある森には悪い魔女が住んでいて、その魔女が悪さをしないようにするために、毎年赤ん坊を一人生贄としてささげなければならないという慣習があったんですね。当然、母親は悲しいけれど、町全体を救うためには仕方ない。でもね、本当はその赤ん坊たちは善良な魔女ザンによって救われ、ほかの町で養子として幸せに暮らしていたんです(ほっ)。

 

じゃあ、一体、黒幕は誰?

何のためにこんなことをしているの?

 

ある年、生贄にされた赤ん坊にうっかり月の光を飲ませてしまった魔女ザン。少女は、強力な魔法を持ち始めますが、まだそれを理解し、使いこなせる年齢ではないと判断したザンは魔法をルナが13歳になる日まで閉じ込めます。

 

そんなルナの13歳が近づいてきたある日。もともと生贄に心を痛めてはいたものの、傍観していた大長老の甥っ子であるアンテインは、ついに生贄の順番に我が子がまわってくるとを知ります。手放すなんて考えられない!魔女と戦うことを決意するアンテイン。そこへ真の黒幕が近づいてきて......。さあ、どうなる?

2017年のニューベリー賞受賞作。

 

■世界は自分が思っているのとは違うかもしれない

実は、個人的にあまり手に取らないタイプの表紙絵でした。魔法系の物語って、ご都合主義のイメージ(←すみません、偏見です)があって、ふだんあまり惹かれないのですが、なぜか今回こちらを読んでみようという気になったのです。

 

あらま、いまの自分にはピッタリの本でした。私の直感Good job!(←自画自賛) 

このコロナ禍じゃないときに読んだら、特に響くことなく読み終えていたかもしれません。ちょっとここはご都合主義かな、とか、この登場の意味がよく分からないとかいうところもなきにしもあらずだったので、そんな粗ばかりに目がいってたかも。でも、おかしな世の中の時期に読んだからか、そのへんは置いておいて、自分に必要なメッセージを受け取れた気がします。

 

今回、個人的に一番響いたのは、主人公ルナではなく、大長老の甥っ子という立場のアンテインの成長でした。ルナはルナで周りから愛されて育ってきて、読んでいるだけでほほえましいんですけどね。

さて、アンテイン。彼は、大長老に使えていたので、毎年生贄の場面に同席しなければいけないんです。これが、彼にとっては心苦しくて苦しくて。毎年新しい言い訳を作っては逃げていた。そして、自分ごときが止めようと思っても、できるわけがない、そう思い込んでいて傍観していたんです。

 

ところが、ですよ。ある日、アンテインは片思いをしていた女性エサインと結ばれるんですね(おめでとう!)。このエサインがすごかった。ブレない。自分は孤独な人生を送ると思い込んでいたのに、エサインと一緒に暮らしはじめたら、世界はアンテインが思っていたのとは全然違っていた。あの思い込みが、こんなにも違っていたのなら、ほかのことも違うかもしれない、そうアンテインは思い直すようになるんです。

 

魔女がみなが思っているようなものでなかったら?

いけにえが、みなが思ってるものと違っていたら?

いけにえを止めたらどうなる?

 

次々とわきおこってくる問い。

 

エサインという“愛”を得たことで、希望を持ち、行動を起こそうと考え始めるアンテイン。

 

これ、分かるなあ。私の場合はですね、全然ケースが違うのですが、キリスト教の環境に育ってきて、キリスト教がもう“絶対”だと思ってたんです。でも、そうではない、世界は自分が思っていたのとは違っていたと、ガラガラと価値観が崩れていったときのショック。あ、キリスト教をいまでも否定してるわけじゃないんです。でも、絶対ではなかった。真理に至る道は色々あっていいことを知った。ここまで、絶対だと思っていたものが違うのなら、ほかのことも違うかもしれない。こういう体験があってから、今自分が思い込んでるものに対して、本当にそうかな?と問いかけるようになりました。

 

■不安から自由になる

さて、翻訳者のあとがきによると、魔法がテーマに見えるけれど、もう一つのテーマは「支配とコントロール」なんだそう。

 

実は、森には町の人が信じているような悪い魔女はいなくて、本当の黒幕は、自分たちのそばにいたんです。黒幕は、“悲しみ喰らい”といって、人々の悲しみを食べて生き延びる。その正体は、意外な人でした。その人は、保護領の住民の心を悲しみで覆い、支配していく……。

 

ん?これ……なんだか、今の世の中と似ているかも。悲しみではないけれど、今の世の中は“不安”で覆われている。不安に支配され、それを利用している人たちが確かにいる気がするんです。

 

私は心配性なので、ともすると不安に陥りがち。不安になってるときの推測や判断って、間違ってることが多いなあ、と後から気付くことが多いんです。悪いことのほうを信じやすくなってしまい、その当時は思考停止してたな、って。だから、冷静でいたいな、って思います。不安から自由になれるように。その不安を誰かに利用されないように。“問い”を持てる自分でいたい。

 

■一人の行動が周りを変える

ところで、いざ何か違うかもと違和感を持ったところで、何もできないと思いがちですよね。立ち向かう壁が大きければ大きいほど。だから、私たちは傍観してしまう。この物語で、何がすごいと思ったかってね、アンテインが魔女殺しに行く許可を得に、長老会に出向いたものの、他の人を巻き込もうとしなかったところなんです。エサインの場合は、かつての仲間に投げかけはしましたけどね。

 

まあ、アテイン自身が自分の考えに自信がなかったというのもありますが、他の人を誘ったり、ましてや、みんな目を覚まそうよ、なんて言わなかった。世界を変えようとするのに、仲間を募るのではなく、たった一人でのぞんだ。だからこそ、他の人たちもあれ?って、誰かにすすめられたからではなく、自ら疑問を持ち、自ら希望を持ち始めたんです。

 

あとがきで、こんなことが書かれていました。

 

”被害者”でいることをやめた住民たち。すると、加害者は加害者でいられなくなる。

 

わ、これすごいなあ。相手を変えようとするよりも、自分の意識をまず変える。善悪二元論じゃないから深い!

 

不安も伝染するけれど、希望も伝染する。さあ、一体私自身はどちらを伝染させたいのか。そんなことを問いかけられた気がしました。

最後に、ブレないエサインの言葉をどうぞ↓

 

「希望というのはね、……(中略)……春が来る前に顔を出す最初の木の芽のようなもの。固く閉ざされていて、命がないように見える。でも、そのうち膨らんで、大きくなる。やがては、あたり一面が緑に染まるわ」(P.170)

 

いま希望が見えないように思えても、それはまだ木の芽の状態なのかもしれない。

“問い”を持つことを忘れたくない、そう思わせてくれた物語でした。