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はああああ、今日の一冊はですね、内容はとても重いというか、もう苦しくて苦しくて。でも、疾走感やリアリティがはんぱなく、一気読みした一冊。
こういう限りなく絶望に近い現実を生きている子どもたちが、今もいることが、信じがたい。でも、現実。そして、その現実を生み出しているのに、私たちも関係しているということの衝撃よ。これを子どもたちに読ませるの?うーん、まずは大人こそ読まなければいけない一冊でした。この社会問題を生み出しているのは大人。
『列車はこの闇をぬけて』あらすじ
米国に働きに行ったきりの母さんを追って、14歳のミゲルは故郷グアテマラを出て、メキシコに向かう。メキシコに入るとき、ほかの四人の10代の子どもたちと出会い、五人で列車の屋根に無賃乗車して、メキシコを縦断する旅を始めるが…? 飢えと寒さ、山賊、身代金目当てのギャング、退廃した国境の町…子どもたちは無事に生き抜くことができるのか?
ドイツ児童図書賞にノミネートされ、話題を呼んだYA小説。(出版社HPより転載)
もうね、壮絶なんてもんじゃあないです。結構分厚いのですが、一難去ってまた一難。いつまでこれが続くんだろう......という途方にくれる気持ちが、本の分厚さとリンクします。そして、物語の疾走感が、列車が走るスピードとリンクする。
最後まで生き残ることが、とにかくすべて
なんです。その中で、なぜ自分は自由の国と呼ばれるアメリカを目指しているんだろう、こんな過酷な思いまでして、ホントに自分はそれを望んでいるのか?自問自答しながら、自分と向き合いながら壮絶な旅を続ける子どもたち。それぞれの事情、それぞれの決断。
あまりにも日本の事情とは別世界で、共感できない人もいるかもしれません。でもね、これ別世界ではないんです。現実だったんです、しかも、その現実を生み出している原因は、我々豊かな国の生活が作り出してるという。
ちょうどこの物語を読んでいるときに、『人新世の「資本論」』でおなじみのの斎藤幸平さんの講演会を聞きに行ったこともあり、こちらの本を読んでいました。
私たちはもういい加減脱成長をしなければ。貧しい国々の負の連鎖を止めるのはもうこれしかない。
以前、環境にやさしいというヤシのみ洗剤が流行ったおかげで、マレーシアやボルネオの先住民の熱帯雨林が破壊されているというのを聞いて、胸を痛めていたので、我々の生活が貧しい国の人たちの生活に影響を及ぼしていることはある程度知っていました。知っているつもり、でした。が、知っていると実感するとでは雲泥の差がありますね。
今回、この物語のメキシコあたりを読んでいるときに、はじめて斎藤幸平さんが言ってることが“実感”としてガツーンと入ってきたのです。
私は、アボカドが大好き。昔と違って今は日本でも割と安価にどこででも手に入るようになって、いい時代だな~、なんて呑気に思ってました。そのアボカドを栽培のためには、多量の水が必要となり、また土壌の栄養分を吸い取ってしまうため、一度アボカドを栽培すると他の果物などの生産は困難となる。アボカドを栽培している国の人たちは、一部の豊かな国のヘルシーな生活を支えるために、自分たちの生活用水や作物栽培を犠牲にし、なおかつ農薬散布で周辺住民は深刻な呼吸器系疾患や内臓疾患に悩まされる。貧困のために、マフィアが活躍し始める。どれも、これも私たちの生活が多大な影響を及ぼしていたのです。
マフィアってこわいです。でも、誰が彼らを責められよう?そうなるしかなかった、彼らの壮絶な人生。彼らを生み出してるのは、明らかに社会の構造=我々先進国のライフスタイル。
それが、この物語に出てくるミゲル、エミリオ、フェルナンド、アンジェロ、ヤスという顔が見える存在があらわれて、はじめて実感として入ってきた。それは、もうガツーンと。
絶望のようなことが続くけれど、そんな中にもやっぱり素敵な出会いもあって。教会の神父さん、難民センターのスタッフ、農家の女たち(命に関係したことは、やっぱり女性が強いです)。
大事なのは、どんな法律に価値があると考え、守っていくべきか、ということだった。意味がないと思う法律には、無視を決め込むのだ。(P.301)
印象的だった言葉です。法律だって、うまく利用するんです。人間ってすごい。しぶとい(いい意味で)。最後には、児童文学らしく希望があるので、ぜひ。