Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

悲惨な現実を突きつける、それだけじゃダメ!

『九時の月』(2017年)デボラ・エリス作 もりうちすみこ訳 さえら書房

 

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はい、今回も前回に続き、非常にエネルギーを吸い取られてしまった1冊です。色々と考え込んでしまい、ぐったり。

 

というのもですね、今回の物語には個人的には希望が感じられなかったからなんです。児童文学には“希望”が必須なのに!!!ちょっと辛口レビューなので、ネガティブなの見たくない方はここまでで。

 

舞台は革命後のイラン。裕福な家庭に育ち、名門女子校に通っていたけれど孤独だった15歳の少女ファリンの物語。ある日、美しい少女サディーラが転校してきたときから、二人は親友となり、友だち以上の愛情を抱くように。ところが、同性愛は処刑に値するほどの罪なんですね、この国では。何も悪いことはしていない、と二人の賢い少女たちは毅然と立ち向かうのですが......。

 

まず、最初に引っかかってしまったのが、主人公ファリンの言葉遣い。なあんだ、そんなこと?と思われるかもしれませんが、「〇〇なんだよ」のような濁音入りの言葉遣いは、お育ちのいい子が使う言葉遣いとは思えず、違和感しかなくて。翻訳の問題ですが。だから、物語に入りこめなかった。

 

ところが、読み終えてみると入りこめなくてよかったのかも、と思ってしまいました。入りこんでいたら、このバッドエンドに立ち直れなかったかもしれないから。

 

この物語のテーマに同性愛があるのですが、女子校での親友との関係って、レズビアンとの線引きが難しい気がします。仲良しだとイチャイチャもするし、同性同士のほうが異性に対するよりも身近ゆえかえって憧れも強かったり、好きで好きでたまらない気持ちもあるだろうし。私自身、中高6年間女子校の出身なのですが、男女共学の人から見たらレズビアン的なこと、結構周りで普通にあった。でも、みなその後は普通に男性に恋して結婚していった。時期的なものも多少ある気もするんですよね......。

 

もう一つ、ひっかかっていたのは、この物語をカナダ人の女性が書いたというところ。だって、どうしても西欧の価値観から見ると、非西欧社会への偏見は入ってしまうと思うので、そこのところどうなんだろう、って。でも、あとがきによると、この物語は実話で、とあるイラン人の女性から自分の経験したことを書いてほしいと頼まれて書いたそう。そして、レズビアンとして誇りをもって生きている作者は、この物語を託されたことを誇りに思う、と書かれていました。なるほど。それ最初に書いてほしかった。

 

ラスト近くは、ただただ悲惨で、読んでいてつらすぎました。確かに、目をそらさずに現実を知ることは大事。でも、同性愛者たちがこんなひどい目にあっている!この国の政治情勢、自由のなさはこんなにもヒドイ!とその悲惨さを訴えるところで止まってしまってる気がしたのです。そこから、それでもどう生きていったのか、どこに希望を見出せばいいのかが見えなくて、救いがなくて、ぐったりしてしまった。実話だと知り、余計に。全然内容は違いますが、『マザーランドの月』を読んだときも、同じように感じました。なぜ、あれが各国で文学賞を取るのか正直分からなかった。

 

悲惨という意味では、前回の物語も信じられないくらい過酷で悲惨だし、ホロコーストものもいくつも読んできたのですが、それでもどこかに希望があったんです。生きるエネルギーが湧いてくるような“何か”があった。だから、やっぱり私たち大人は“こんなにも悲惨だったんです”で物語を終わらせちゃいけないと思うんです。ただ悲惨な現状を描くのは、大人向けの文学だけでじゅうぶん。

 

唯一この物語の救いといえば、一番の悪役かと思っていた人物が、実際には違った側面を持っていたというところ。違った側面というか、そちらが私たちには見えていなかっただけで、彼女は彼女を貫ていただけだったこと。とはいえ、ラストのインパクトが強すぎて、この救いだけじゃ足りない。もっと救いを。ご都合主義だっていいから、もっと希望をもってきてほしかった、と思ってしまいました。子どもたちに悲惨な現実をつきつけるのなら、希望もセットでお願いしたいです。