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出不精の私ですが、本屋さんが舞台の映画となると、すぐに見たくなる。
というわけで、行って参りました!『丘の上の本屋さん』@シネコヤ
同じく本屋舞台の映画『マイ・ブックショップ』は個人的に後味はちょっとは悪かったのですが、今回の映画は個人的にはとてもいい余韻。『マイ・ブックショップ』の感想はコチラ↓
『丘の上の本屋さん』にはドラマチックさはないんです。淡々としていて、特に事件が起こったりするわけでもないので、面白味に欠けるという人がいるのも分かる気がする。でもね、この淡々さが実に気持ちよかった!
そして、何よりもイタリアの風景の美しいこと、明るいこと。まぶしいっ。それだけで、美しきかな、ビバ人生!って思っちゃう。石造りの町、いったいどのくらい昔からあのまんまの景色なんだろう。イタリアで最も美しいといわれている村のひとつであるチヴィッテラ・デル・トロントの中に身を置いてる気分になれるだけでも、見に行ったかいがあるというもの。隣のカフェはおしゃれだし(カフェのお客さんもみーんなおしゃれ)、リベロの古書店はスッキリとしていて素敵だし、ああ、眼福。
ぜひ、予告編をご覧ください↓
さて、そんな素敵な丘の上にある本屋さんに、とある日、本を買うお金はないアフリカ系移民の少年エシエンが現れます。主人公の古書店主リベロは、最初は彼に漫画を貸し、そこから徐々に文学へと貸し出すものを変えていきます。感想を聞きあうとき、この二人は決して言葉数は多くないのですが、その交流に心温まるんですよね。
きっと、この少年の身にもっとツラいこととか起きれば、エンタメ性は高まり、ドラマチックになるのでしょう。でもね、もうそういうの別に求めてない。狙った感動は、ハリウッドに任せようじゃあないか(笑)。
そして、リベロ役のレモ・ジローネの円熟味のあること。本を袋に入れる手が小刻みに震えるのは演技なのか、本当に年齢からくるものなのか。なぜか、紅白のときの加山雄三を思い出してしまった(あれ、感動しました)。
以下、ネタバレ含みますのでご注意 ↓ ↓ ↓
人生の終焉、どんな風に迎えたいか。
そんなことを考えさせられる映画でした。
いつもと同じ日常の中で迎えるのが一番の幸せなんじゃないか、と思い始めている今日この頃だったので、この映画は沁みました。本を愛してやまないリベロが最後に読んでいたもの。一体どんな文豪が描いたもの?あるいは人生哲学が描かれてるもの???
リベロが最後に読んでいたもの、それは、いつもゴミ箱から本をあさって売りにくるボジャンが届けてくれた、とある時代の家政婦の日記でした。書籍化されてるものではない、普通の一般人の日記。あれを出してくる意味が分からないというコメントも何件かみかけましたのですが、そうかあ。私は、世間的には名もなき個人ひとりひとりのストーリーってとっても興味あるけどなあ。どれも愛おしい人生って感じがして。実際、古書店では古い個人の日記も売られてたりするんですよね。その当時の一般庶民の顔が見えてきたり、時代の匂いが感じられたり、貴重な貴重な資料であり、どれも誰かの愛おしい人生。
先日、民藝館を初めて訪れたのですが、あれは陶芸なんかにおける個人の日記とも言えますよね。巨匠のものではない。でも、当時の人たちの暮らしが見えてくるようなそういうモノたち。
最後に読んでいたものが、いわゆる文豪によるものではなく、見知らぬいち個人の日記だったことの意味、その意味を考えることが観る側にゆだねられていることが嬉しかった。
そして、最後に思ったのが、エシエンに出会えて、リベロはどんなに幸せだったかということ。以前だったら、リベロに出会えてエシエンよかったね、と思ったかもしれないけれど、今は逆。本を手渡す相手を見つけられたリベロこそ幸せだったよね、って思うのです。自分の思いを手渡せる相手がいるって、本当に本当に幸せなことなんだよなあ。
手渡せるほうこそ幸せ、そのこと自覚して手渡していける人に私もなりたいです。