Pocket Garden ~今日の一冊~

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ファンタジーだからこそ伝えられること

『香君』上橋菜穂子著 文藝春秋

大好きな上橋菜穂子さんの最新作。

でも……、本の置き場所もどんどんなくなってくるし文庫出るまで待とうかな、なんて思いもよぎったのですが、やはり待てなかった(笑)。

 

うん、さすがです。もう冒頭から心をぐっと掴まれました。目の前に光景が広がり、あっという間に物語の中へ。上下巻となかなかに長いのですが、とても読みやすい!なので、本が苦手という人でもいけそうです(前作『鹿の王』のほうが読書体力は必要かも)。

 

『香君』あらすじ

遥か昔、神郷からもたらされたという奇跡の稲、オアレ稲。ウマール人はこの稲をもちいて帝国を作り上げた。この奇跡の稲をもたらし、香りで万象を知るという活神〈香君〉の庇護のもと、帝国は発展を続けてきたが、あるとき、オアレ稲に虫害が発生してしまう。
時を同じくして、ひとりの少女が帝都にやってきた。人並外れた嗅覚をもつ少女アイシャは、やがて、オアレ稲に秘められた謎と向き合っていくことになる。(出版社紹介文より転載)

 

今回のテーマのひとつに、“植物の不思議”があると思うのですが、その部分はたくさんの文献に基づいて書かれているだけあって、とてもリアリティがあります。オアレ稲自体は架空のものだけれど、植物同士、植物と生物とのコミュニケーションの部分は、現実に行われてることでもあるので、ホント生命の不思議って底なし!

 

でね、読み始めてすぐに“オアレ稲”って遺伝子組換作物みたいだな、って個人的には思ったんです。人類を救うって言われてるけれど、そのおかげで有機農法やっている隣の畑まで影響を及ぼしてしまう。それだけに頼るコワさ。そして、いつだって、政治的支配が裏にはある。結局は人類が、自己の利益のためだけに何かを利用していくとひずみが生じ、結果自分たちにもかえってくるんですよね。

 

また、ある人はオアレ稲は“石油”に置き換えても読めるなあ、って言ってました。石油に支配された、石油で支配する世界。原発もともいえるし、また、救いの稲の方は“ワクチン”みたい、という人も。色んなものに当てはめることができるのも、この物語の面白さだなあ、って。ファンタジーだからこそ、伝えられる。ファンタジーだからこそ、色んなものに当てはめることができる。

 

ところで、私、上橋さんがいいなあって思うところの一つに、人間を善悪二元論で描かないところがあるんですよね。そりゃ、ひどい人はいっぱい出てきます。でも、その人にはその人の事情があって、ただ立場があるという描き方。そこが、なんともいえず心地いいんです。だって、どっちの側に立ってみるかで、物語って見え方が変わってくるし、時には真逆の物語になるでしょう?

 

今回の『香君』は、上橋さんの他の物語に比べると、登場人物たちに感情移入することは少ないかもしれず、そこに物足りなさを覚える読者もいるかも。でも。このコロナ禍だからこそ必要な物語がよくぞ出てきてくれたな、って個人的には思いました。

 

自分で考えること、共存すること          

 

ラストのほうで、香君であるオリエ取った姿勢には恐れ入りました。ちょうど自分自身の中で、課題となっているところへのメッセージをもらった感じだったので。

ネタバレってほどじゃないけれど、方向性は見えちゃうので、ネタバレいやな方は、ここから先は読まないでくださいね。

 

どうすれば人々の深いところに言葉が届くのか。オリエは、偽りの権威による支配の強化ではなく、“(人々が)自らの立場を再確認し、自らの意志で未来を選ぶ”道をつくるんですね。どの道を選ぶのか、自分自身で決めさせる(←ココ!ここが自分自身の中で課題だったんです)。そうはいっても、人々が混乱しないように、国がバラバラにならないようにコントロールしなければ、政治ってそういうもの、ってどこかで思ってたかもしれない。そういう提示をするのね、って感動しました。

 

そして、オリエに続き、アイシャも。

 

「私、自分が知り得たことを、多くの人に伝えておきたいのです。―みんなが自分で判断できるように。自分の行動が何に繋がり、どんな結果をもたらすのか、想像できるように」(P.430)

 

アイシャがするのは、“伝える”ところまで。そこから先は、個々に任せる。何かに依存するのではなく、自分の頭で考えるように、って。

 

これねーーーー、なかなかこうはできないです。ついつい、〇〇だからこうしよう、こうあるほうがいい(こうあるべき)、って結論や判断の部分まで言いたくなっちゃうもの。相手が判断できるようにっていうのは“信頼”なんだなあ。これが、なかなかできない。

 

そして、“共存”。

何かやっかいごとが起こると、傲慢にも人間はそれを排除しようとします。そうすれば、すべて解決するかのように。根本を見ない、まさに対処療法。

 

そんなとき、ユーマという人物がこういうのです。

 

「ひとつの稲に角に依存することは、もちろん避けねばなりませんが、いまの我々が為すべきは、オレア稲の排除ではなく、あの稲との共存なのでしょう。……(後略)」(P.448)

 

あれもまた命、と。

 

そう、命なんです。そこで思い出しました。以前、外来種の排除が強い言葉で語られるのを見るたびに、ちょっと胸が痛んでいたことを。増えすぎるのはよくないかもだけど、あれも、命なんだけどなあ、って。

 

排除ではなく、共存の道を探る。

いまの自分にとって、必要なメッセージがいっぱいつまった物語でした。

ぜひ。