Pocket Garden ~今日の一冊~

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本当の強さって?

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違うからこそ楽しい

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我が家にはテレビがないこともあって、ニュースにあまり興味を示さない子どもたち。

でも、今回アメリカで起きている暴動には興味があるようで、なぜそんなことが起こるのか聞いてくるんです(大歓迎!)。

 

きっかけは、インスタで真っ黒い画面が立て続けに現われたこと。

 

インスタがおかしくなった!と慌てて次男から報告を受け、調べてみたら、#blackoutttuesdayというハッシュダグとともに人種差別撤廃に賛同する人たちによるものでした。そのきっかけとなったのが、先日ご紹介したこの事件↓

 

jidobungaku.hatenablog.com

 

小6次男は折り紙専用アカウントを持っていて(母管理)、フォロワーの7割くらいが見知らぬ海外の折り紙愛好家の人たち。なので、#blackpouttuesdayの投稿も出てきたというわけです。

 

その後、大島優子がそのインスタを投稿したら叩かれてましたね......。

ファッションの匂いがする、アナタが口出しすることじゃないetc.etc.

 

うーーーーーーん。

叩きたくなる人の言い分も分からなくはないんですよね。

つい最近事情を知ったくらいの人が、簡単に口出しできるような歴史じゃない。子どもたち用語でいうところの「にわか」が知ったかぶりして語ることじゃないのかも。

 

でもね、だからこそ、これをきっかけに知ろうとすることは大事だと思うんです。

自分がどちらに賛同するとか、自分が賛同しないほうを非難するとかじゃなくてね、なぜこういうことが起こってるのかを理解しようとする。それが大事なのでは。

 

私自身に関していえば、人種差別問題を他人事とは思えないのは、留学していたときに実際に目の当たりにしたこともあるけれど、根底にあるのは、小学校低学年の頃に読んだ『トムじいやの小屋』(『アンクル・トムの小屋』の抄訳)が影響していると思うのです。あれは強烈だった。

物語で読むとニュースからは知り得ない、一人一人の顔が見えてくるから。

 

前置きが長くなりました!というわけで、今日の一冊はコチラ。

人種差別が公然と行われていた時代の、黒人の人たちの静かな強さと家族の絆の物語。

 

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『父さんの犬サウンダー』(1998年)W・H・アームストロング作 曽田和子訳 岩波書店

原題:SOUNDER

 

人間を人間として扱わない、本当にひどい時代の物語です。なので、最初のほうは読むのが少しツライのですが、「死」について考えさせてくれ、最後には希望が。

 

 

■あらすじ  

《『父さんの犬サウンダー』あらすじ》

働いても働いても,貧しさから脱却することができない-白人の農園主の下にいる父さんたち黒人労働者の状態がそうだった.父さんは,ある日一塊の肉を盗んだとして牢に入れられ,果てしのない強制労働にかりだされた.家に残された少年と父さんの犬サウンダーは,父さんの行方を求め歩くが….ニューベリー賞受賞作.(岩波書店HPより転載)

 

品切れ状態ですので、気になる方はぜひ。

私がこの本に出会ったのは、惜しまれながら閉店した鎌倉の人気古書店『ブックスモブロ』さんででした。

 

■文字が読めることは自由への一歩

読み進めるのが苦しくて、途中でやめてしまおうかと思いました。暴力的なシーンの描写も苦手なので......。

 

でもね、少年の字が読めることへの憧れ、物語への憧れが唯一の希望となって、最後まで読ませてくれたんです。少年の楽しみは、母親が教会で聞いてきた聖書の物語をしてくれるのを聞くこと。でも、自分で字が読めて、本が手に入れば自分で読めるのに、と思うのです。自由への一歩なんだなあ。

 

そして、ついについに師と呼べる人に出会うのですが……この場面がね、特に泣かせにくるような場面じゃないんですよ?ただ、学校から出てきた年老いた先生が、少年がゴミ箱から拾った分厚い本(モンテーニュの随想録)を手に持っているのを見て話しかけるだけ。

 

なんですけど、ここで、自分でもびっくりしたことに、なぜか私ボロボロ泣いてしまったんです。やっと、会えたー!見つけてもらえたー!って。

 

少年の心からの願い(文字を読めるようになりたい)が叶うという予感に、胸にこみあげるものがあって。それほどまでに、少年の気持ちはまっすぐで、混じりけのない純粋なものだったんだなあ。

 

ところで、色んな人を見てきた少年は、人をとっさに見極める目を身に付けているのですが、この老人は安心できる、信頼できると見抜くんですね。人間、年をとると顔に生きてきた人生が、人格がにじみ出ますよね。気を付けなくっちゃ!

 

そんな老先生、少年のひどく怪我をした指を見て何かを察知しても、何にも聞かないんです。そうなると、少年は、自分のことを逆にしゃべりたくてしゃべりたくてたまらなくなる。あげくのはてに、「この人はぼくのことを知りたくないのだろうか」ともどかしい気持ちにすらなるんです。もう、一瞬で内側から少年の心の扉開いちゃってる!

 

この心の距離の取り方がいいなあ。人って、信頼できる人に出会えば自分のこと知ってもらいたいものなんですよね。話したくないくらいツライことでも。見習いたい。

 

 

■社会的弱者=人として弱い人ではない!

それにしても、なぜ、この世はこんなにも不公平なのか、と苦しい気持ちになります。つつましやかに暮らし、誠実に働いている人たちなのに、貧困から抜け出せない。人間としての品格は、汚い罵声を浴びせる白人の雇い主たちよりも、黒人の人たちのほうがよっぽど上なのに。野蛮なのはどちらなのか。

 

ここに出てくる黒人の人たちは、社会的弱者の人たちです。でも、私は彼らから色んな“強さ”を感じた。芯の強さ、ブレない強さ、家族の絆の強さ、意志の強さ、弱音を吐かない強さetc.etc. なんて強い人たち!

 

地味ながら、静かな強さナンバーワンと私が感銘を受けたのは、主人公の母親です。

存在感があるわけでもなく、文字も読めず、教養もない。言葉数は少ないので、この母親がどんな人かを知る術は少ないのですが、信仰深く忍耐強いんです。

例えば、少年が老先生に見出され、老先生と一緒に暮らして学校に通うという話をされたとき、こういうのです。

 

「ほんとに、こまったね。どうしたもんか。けど、これが主のみ心なんだね」(P.149)

 

たった一言で書かれていますが、これ相当苦しい決断ですよね。だって、父親不在の今、少年が家庭を支える大黒柱のようなものだから。

 

子どもというものは“授かりもの”ではなく、“(神からの)預かりもの”だ、とこの母親が思ってることが分かります。自分の所有物じゃないから、み心に従う。

 

また、待ちわびた夫が帰ってきて、また帰らぬ人となったときの反応にも、この母親の芯の強さを感じさせるのです。覚悟が違う。

 

「生きていくのにくたびれたときはね、長いねむりほど、心やすまるものはないんだよ。主のみ手にだかれてねむるのが、いちばんのやすらぎになるのさ。ちゃんとお棺を買って、とうさんをうめてあげられるよ。かあさん、ずっと、とうさんの葬式のことかんがえて、準備してきたから。」(P.168)

 

明日の暮らしさえ不確かな貧しい暮らしの中で、きちんと見送りたいと準備する気持ち。それが、どれだけどれだけ大変なことか。強い!

 

■相手の感じ方を尊重する

最後に、これこそ平和への鍵!と感じたエピソードをご紹介。

 

犬の日」と呼ばれている日があるのですが、その由来を、教養のなさから母親が取り違えているんですね。一方、少年は老先生から教わったから本当の意味を知っている。そのとき少年は母親を恥ずかしく思ったか?

 

いいえ。

少年は本当の意味を母親に伝えることはしないのです。

 

世の中のことについて、母親には母親の感じかたがある。それをかきみだすのはよそう......。(P153)

 

 

 

相手を変えようとしないこと。相手を尊重すること。

私なんかより、よっぽどこの少年のほうが大人です......。 

 

 

モンテーニュの『随想録』も読んでみたくなりました。

長々と最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

【今日の一冊からもらった問い】

本当の強さってなんだろう?