今日の一冊は、3.11被災者たちの、それぞれのその後の物語。
読み終えた後は、テナーサックスのJazzバージョン“黒いオルフェ”が聞きたくなること間違いなしです。
濱野京子さんの物語はとても読みやすいんですよね。
思春期のもやもやした思いを、穏やかに言語化してくれる。本が苦手な子でも共感しやすいんじゃないかな。
『この川のむこうに君がいる』あらすじ
16歳の主人公梨乃は、3.11震災の被災者で、関東に家族で引っ越して来た。かわいそうな被災者扱いをされた中学ではなじめず、高校は、3.11の被災者であることを隠し、まっさらな状態で始めたい、とあえて同じ中学出身者のいない都内の高校を選んだ。そして、4年越しの夢だった吹奏楽部に入部。そこには福島から被災して来た遼がいた。あっけらかんと震災のことを明るい口調で話せる遼が不思議で避けていた梨乃だったが、あることがきっかけで二人は他の人には言えなかった思いを言い合える仲になっていく。
■被災者という「身分」が普通を奪う
中学時代の梨乃は、周りから示される心遣いが苦しく、自分の中でもどう整理していいか分からず、もやもやしています。“絆”という言葉もどうしても好きになれない(私もー!)。
周りが善意から気遣ってくれるのは分かるのですが、同情を寄せられ続けることで、ふつうに振る舞うことを奪われる。ココ!!!私たち、被災者じゃない者たちが知るべきこと。
こうして被災者という「身分」を背負った梨乃は、どんどん口数が減っておとなしい子として過ごすことになるのです。
震災のあと、ふつうに振る舞うと不謹慎に思われる傾向って確かにありましたよね。色々自粛されました。そんな気分になれないからというよりも、そうすると叩かれそうだからという理由だったように思えた。
だから、梨乃は遼にびっくりする。被災者であることを隠したい梨乃とは正反対に、遼はあまりにもあっけらかんと自ら震災のことを語るから。でもね、後から分かるのですが、遼は遼で、福島から来たということで中学時代差別を受けていたんです。明るく振る舞っているのは、負けてたまるもんかと思ってるから。遼は遼で、やっぱり“普通”でいることを奪われていたんだなあ。
■優しさ?優しくしてる自分が好きなだけ
がんばってほしい、応援したい、という人のことがどうして苦手なのか、梨乃はよく分からなかったんです。優しくしてもらっているのに、それに嫌悪感を抱く自分も嫌。でも、遼はもっと冷めた目で見ていて、こうサラっと言い放ちます。
「自分をやさしく思いたい奴、たくさんいたし」(P.92)
同情しているようで、本当は弱者に対して優しい、そんな自分が好きな人たち。
ハッとさせられます。被災地に対して、無関心でいたくない。でも、思いの寄せ方。それは自分のためなのか、彼らのためなのか。彼らのため、っていう言い方が既に傲慢ですよね......。
それぞれの背負ったものを知るにつけ、ああ、何もできないと無力感にさいなまされます。どうすればいいんだろう。もし、近くに被災者の人がいたら、私はどうすればいいんだろう。
問いかけられます。
被災者と一口に言っても色々だということも改めて考えさせられました。
ひとくくりにしちゃいけないし、本にも書かれていましたが、被災者同士だから分かり合えるなんて、簡単には言えない。
家族を何人も失って一人だけ残った人、家を失ったけど、家族は無事だった人、道一本へだてて、家もほとんどこわれなかった人、現地に留まった人、離れた人……その差に、なんとなく壁ができていく。そうしたくなくても。
梨乃のうちはといえば、震災で兄を失っています。そして、母親はなかなかそのことから立ち直れない(当然だけれど)。失った子のことを嘆くあまり、目の前に残った子を見てあげられない母親の気持ち、『さよならスパイダーマン』を思い出しました。こちらもおススメなのでぜひ。↓
なぜ自分の方が生き残ってしまったのだろう、という思いはわき起ってしまうかもしれない。でも、生き残ってる方が絶対的に親孝行なんだ、という父親の言葉に救われます。今、目の前にあるものを大事にすること。だって、それはまだ失っていないから。
■ 思い描いていたのとは違くとも、前進
個人的にいいなあ、と思ったのは、部活で本来の希望とは違う楽器をやったものの、最終的にはそれが好きになったところ。もう一つは、周りにありのままの自分を隠さなくなったら、いい思い出は一つもないと思っていた中学時代にも確かに笑いあったこともあったことを、ちゃあんと思い出したこと。
思い描いていた未来とは違った。こんな状況ほしくなかったと今でも思う。
それでも、前に進んでいく。
一つ乗り越えると、過去に見えていた景色までもが変わってくるんだな。
むこう岸に渡ろう。
前に進んでいく希望のラストがよかったです。