Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

人を信じられるようになる一冊

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『あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』(2018年)寮美千子著 西日本出版社

 

今日から学校もスタートしましたね。

 

さて、我が家は新年のお買い物は湘南T-SITEへ。

ゆっくり過ごせて、すごく良いです、ココ!!!

児童書コーナーも少-し流行りものも置いてはあるものの、基本好みの選書だったのです。そこへなんと、今回この道のエキスパートの知り合いが働き始めたことを知って、ますます信頼度が高まっているところです。

 

さて、子どもたちとひとしきり選んだ後、自分用に読み返したい&やっぱり手元に置きたい!と思ったのが、今日の一冊『あふれでたのはやさしさだった』でした。

 

《内容》

奈良少年刑務所……凶悪な犯罪を犯し、世間とコミュニケーションを取れなかった少年たちが、「社会性涵養プログラム」の一環として受けていた「物語の教室」の軌跡とそれが起こした奇跡。

たった月1回、半年間の詩の教室で驚くほど変わっていく彼ら。いや、変わるんじゃない、本来の自分に戻っていく。「詩」により心の扉を開かれ、それを受け止めてくれる「仲間」の存在によって、変わらなかった子は一人としていなかった。

まったく無表情だった少年が微笑み、はげしいチック症状がピタッと止まり、吃音が消え、ならず者のような子が自ら姿勢を正し、ひどく引っ込み思案の子が手を挙げて発言するように。人間って、いい生き物なんだ、と確信できる記録。

 

 

です。

 

もうね、新年にぴったりの一冊でした。だって、とても揺さぶられて、これからの自分のありかたを改めて強く強く問われたから。

数ページめくっただけで、もう目が潤んでしまって、よく読めないんです。

何度読んでも涙が出てしまう。でも、かわいそうとかそういう同情じゃない。

自分も彼らと一緒に浄化されていくんです。

 

と、同時に、自分が何をしたいのか、そして今何をしているのか。

日々流されている自分を、軽く殴られたような感じ。

 

いや、全然叱られてる感じはしないんですよ?やさしさにあふれているから。

でも、私は一体何をぼやぼやしているんだろう、と自問自答せずにはいられないのです。

 

刑務所という別世界の場所で起こっている話じゃない。自分とその周りの人たちにも活かしたいヒントがいっぱいな一冊なのです。

 

■表現することで人は変わる

この本を読んでしみじみ思うのは、「生まれつきの犯罪者」などいないということ。

“彼らはみな、加害者である前に被害者であった”、と本文にもあるように、みな無慈悲な社会からこぼれ落ちてしまった困っている人たちなんですよね。

 

本当は困っている人たちなんだ、と述べている本はほかにもあります。が、この本のスゴイところは、その困っている人たちを救ってくれたのが、“適切な知識(勉強)”ではない点なんです。

 

もちろん、適切な知識も大事だけれど、それだと救えるのは猛勉強した精神科医だったり心理士だったりの専門家に限られてしまう。

 

でも、たったこれだけのことで?と著者の寮美千子さんも驚くようなシンプルなことで受刑者たちがどんどん変わっていくんです!魔法のように。さらに、驚くことに、困っていた彼らの心をほぐしたのは、なんと同じ受刑者仲間たちだったんですよね。専門性どころか語彙力もない、詩なんかに触れたこともなかったような子たち。

 

“言葉の力”と“芸術の力”ってすごい!!!

“表現する”ってすごい!!!

 

ここでね、絵本・児童文学研究センターで学んできたことが、また一つつながりました。

表現するって、無意識の世界に属してるんですよね。顕在意識の世界を量的世界(何でも数字ではかれる世界)とすると、無意識の世界は数字だけでははかれない質的世界。

 

量的世界だけになると、魂の部分が置き去りになってしまい、人はどんどんバランスを失っておかしなことになってしまう。質的世界を取り戻すことがいかに大事か。

 

そして、本当に大事なことって、いつだってシンプルなんだなあ。

 

 

■「指導」よりも「安心・安全」な場

ただ、ここで大事になってくるのが、環境を整えること。

環境が整っていないと、言葉もその力を発揮できない。

 

その環境とは、そこが「安心・安全」な場であること。否定されない場であること。そして、周りが「待つ」こと。

 

「安全・安心」な場で自分らしくいられたら(本来の自分に戻れたら)、「指導」する必要なんてなくなるんですよね。息子のことに関して、学校の先生から「指導したいと思います」と言われるたびに強い違和感を覚えていたので、ストンと落ちるものがありました。

 

指導されると、人は自分が間違っていると否定されている気分になり、反発したくなってしまいがち。親もついつい我が子を指導してしまいがちなのだけれど、指導で人を変えるのは本当にむずかしい。

 

この本に出会うと、受刑者たちへの本当の意味での教育がいかに大事かを思い知らされます。とはいえ、本当に傷ついてるのは被害者であり、加害者に情けをかけるなんて!という意見も当然起こりますよね。無慈悲な事件の数々。私だって、ついそう思いがち。だからこそ、この本を手元に置いておきたいのです。

 

刑務所の中ではストイックな生活が必要。けれど、罰を与えるだけでは何も変わらない。『復讐』することで何かがよくなることはなく、再犯につながってしまう、と語るのは、刑務所の細水統括。この方がまたしびれるほど素敵なお人柄なんです。ぜひ、この本を通じて、色んな人に出会ってもらいたい。

 

「(中略)犯罪者を支援することには批判もありますが、きちんと再教育して社会に戻してあげた方が、結局、社会的に見たコストも削減できる。そういう観点からも、受刑者教育が見直されつつあるのです。むずかしいことです。でも、これをしないと、彼らが再犯をして、また新たな被害者が出る可能性もありますから。」(P.44)

 

これを聞いた(読んだ)とき、ブレイディみかこさんが繰り返し訴えていたことを思い出しました。それ、本当に自己責任なの?私たちは、もっと大きな目で見なければいけない。時間はかかっても、育てるということが結局は良い社会を作っていくということを。

 

jidobungaku.hatenablog.com

そして、ブレイディみかこさんの息子さんが言っていた「人はいじめるのが好きなんじゃない。罰するのが好きなんだ」と言う言葉も思い出しました。受刑者に同情なんかいらない!立ち直る機会なんか与える必要ない!!と声高に叫んでいる人たちは、結局は罰するのが好きなんだな、と。そして、そういう人たちを批判的な目で見てしまう自分もまた、所詮罰するのが好きなのかなと気付かされ、ドキッとします。

 

 

■言葉の力、それは人と人をつなげること

ところで、著者の寮美千子さんは、作家であり言葉のエクスパートでありながら、ここでの体験を経るまではそれほどまでには言葉の力を信じられなかった、と正直に語っています。すぐれた詩作品の中だけに価値があるのではない、自分は、詩のエリート主義者だった......という気づきに、私もハッとさせられました。もちろん美しい言葉に触れることは素晴らしいこと。でもね……

 

 

言葉の本来の目的は、人と人をつなげることだ。言葉を介して、互いに理解し合い、心をうけとめあうことだ。どんなに稚拙なものでも、そのとき、言葉が、その場にいる人々に届き、響きあうのであれば、言葉としての役割を充分に果たしていることになる。それこそが、言葉のいちばん重要な使命であり、大切なことなのだ。たとえその言葉に、普遍性のかけらもなかったとしても、少しも構わないのだ。だって、その言葉は、すでにこの地上で人と人をつなぎ、喜びを生み出しているのだから。言葉として、それほど誇らしいことがあるだろうか。(P.123)

 

 ああ、ここだけ抜き出しても、あまりピンと来ないかもしれませんね。受刑者の彼らの詩とその授業でのやりとりを追体験すると、言われていることが、深く深く心に染み入るのです。

 

他人事ではなく、自分事として、心の深いところに響いてくる一冊です。

ぜひ、出会っていただきたいです。