選挙結果には落ち込み、胸がきゅーっと縮こまっています。
毎回、落ち込むんですけどね。またかあ、って。
周りの熱量を感じ、今この国が変わりたがっていることを感じ、今度こそ変わる!と思うのに……。
しょせん、変わらないのかな、と弱気な心が出てくることも否定できない。
そんな気分のときに読み返したいのが、今日ご紹介するコチラ。
舞台は1960年代のシリア。政情不安がつづく首都ダマスカスで、紙とペンで権力にたちむかおうと、ジャーナリストへの道を模索する少年の日記
です。暗く時代の重いテーマなのですが、淡々と描かれていることも影響してか、この物語には不思議な爽やかさと軽やかさがあるんです。
一日一日がとても短い日記形式なので、すき間時間に読みやすいのも嬉しい!
忙しい大人にもこれならすぐ読めますよ、と差し出したい。
ダマスカスの路地の埃やコーヒーの香り、土煙が手に取るように感じられ、日本の昭和初期の下町人情にも通ずる民衆文化も魅力的です。
さて、この物語の中心ともなるジャーナリズム。
今回の選挙に限らないのですが、最近の(メジャーな)ジャーナリズムというものにどうしても不信感を抱いてしまう。すごく偏った、誰かさんに気を遣った情報しか流さない。ええ、それはもうビックリして呆れるくらい。ジャーナリストたちはもはや誇りを失ってしまったのかな?とすら思ってしまう。
いや、真実を暴いている人もたくさんいらっしゃいます。
でもね、色んな真実がある中で、それって重要?と思うことを追いかけている。
“暴く”という、その字が示すように当事者たちのことを思いやることもなく、土足で人の家にずかずかと入ってくるような暴力的な感じの記事が多い。確かに、真実(というより事実と言いたい)を追求しているのかもしれない。でも、それ、本当に世の中を良くしようと思ってやってること?って感じてしまうのです。
もちろん、誰にでも間違いや、そのときはそれがベストだと思っていた、ということはあって、何が世の中を良くすることなのかも人によって違いはあると思うのです。でも、権力者に気を遣って情報の印象操作をすることは明らかに違う。高潔な精神、ジャーナリスト魂はどこへ行った?
この『片手いっぱいの星』の主人公は、貧しいパン屋の息子で、父親は学問への理解がありません。それでも、親以外の理解ある人々と出会い、ペンと紙で自分の道を切り開いていくのです。抑圧勢力と闘い続ける。
日本でも今のメディアを見ていると、言論の自由が抑圧されているなあと感じるのですが、この当時のシリアはもう悪夢のようです。作者のラフィク・シャミはシリアからドイツに亡命して、物語を書いた作家さんです。
タイトルにある“星”とは、アラブでは希望を表すそう。あたりが暗ければ暗いほど、情況が過酷であればあるほど、星の輝きは明るさを増すのです。
今回の選挙、結果には歯がゆい思いをしましたが、星たちの輝きは明るさを増してきた気がします。
どんなに閉ざされているように見える道でも、良き仲間に恵まれれば、自分で切り開いていくことができる。とても勇気づけられる物語です。