Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

選挙なんて行っても意味ない

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『あのころはフリードリヒがいた』(2000年)ハンス・ペーター・リヒター作 上田真而子訳 岩波書店

 

選挙なんて行かなくていい。

だって、どうせ変わらないんだから。

 

正直、他に悩むこといっぱいで、政治になんて興味ない。

興味持つ余裕もない。

 

ただでさえ、「空気読め」と言われて言いたいこと飲み込んでいる毎日なのに、投票したからとて一体何が変わるというのか!?

 

“今のままではヤバイ!ヤバイ!”と騒いでる人たち、感情的になってバッカみたい。

 

……そんな若者の声が聞こえてきそうです。

 

若者が選挙に行かないというけれど、バリバリに働いている世代も同じような気がします。日々追われていて、気付けば選挙日過ぎていた・・・告白すると、私も過去にありましたもん。

 

でもね、今のままでは本当に日本は危ない。

そして、今ならまだ間に合う。変えられる。

 

感情的に捉えることを、人はネガティブに捕らえがちですが、“本当に残酷な世界は理性的な世界なんだ”、と絵本・児童文化センターの講義で以前教わり、ハッとしました。

 

今日の一冊、『あのころはフリードリヒがいた』は、ナチス時代の胸が苦しくなるような物語なのですが、人々がどう洗脳され、高揚していくかが見事に描かれていてゾッとします。その場にいたら、自分は正気を保てるか自信がないから。

 

ここで注意したいのは、民衆は感情的になっているかもしれませんが、政治家は理性的だという点。この物語には年表がついていて、法律や告示や命令が交付された日付が並べられているのですが、いかに戦略的に理性的にジワジワとユダヤ人の人たちを追い詰める体制を整えていったかが分かります。理性だけの世界では、心を失っていく……。

 

いまの改憲を押進めようとしている政治家たちがと重なり、それはそれはゾッとしました。

 

ところで、児童文学に関わっている人たちは、政治的な声をあげる人が多いんですよね。

 

なぜか。

 

子どもの未来を真剣に考えている人ばかりだから。

そして、今の社会を作っているのは大人であり、それを解決することを子どもに責任転嫁するのは違うと考えている人たちだから。

 

一方、いま権力を握っている人たちはどうでしょう?

未解決の問題、未来への宿題を「それは未来の世代が考えればよいこと」と堂々と言ってのける人たちです。責任転嫁のかたまり!

 

自分一人が動いたって、何も変わらないかもしれない。

でも、動かなければ変わる可能性も発生しない。

 

 

「私の行いは大河の一滴に過ぎない。でも、何もしなければその一滴も生まれないのです」(マザーテレサ

 

7月21日(日)の選挙は、その一滴を生み出す日。

 

本当の愛国心って、国から押し付けられるものじゃない。

非国民と言われるのがコワイから、ではなく、自らの内から湧き出てくるもの。

誇りを持てる国は、自分がありのままの自分でいられて、心から愛さずにはいられないような国。そんな国を作るのは、やっぱり私たち一人一人の小さな行動からなんだなあ。

 

どんな国にしたいのか。どんな自分でいたいのか。

どんなビジョンを持った、誰にそれを代表で託したいのか。

いまなら自分で決められます!