Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

ああ、日本人でよかった!

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『しゅるしゅるぱん』(2015年)おおやなぎちか作 福音館書店

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今日の一冊は岩手を舞台にしたコチラ!

 

このブログで紹介されるものって、海外児童文学が多いよね、とよく言われるのですが、それには過去記事に書いたこんな理由があります↓ 

matushino.wixsite.com

 

でもね、今日の一冊のような物語に出合うと、ああ日本人でよかったとしみじみ思うのです。日本人にしか書けない類の物語。ちょっとせつなくて、美しい。児童文学ファンタジー大賞佳作だったのも納得!

 

『しゅるしゅるぱん』あらすじ

突然東京を離れ、父親の田舎、岩手の朱瑠町に引っ越すことになった解人。古くから山神様が祀られている山のふもとで、慣れない新生活を始めた解人だったが、身のまわりで次々と奇妙なことが起こる。いぶかり、苛立つ解人の前に謎めいた男の子が現れた。「しゅるしゅるぱん」と名乗る彼は、いったいだれなのか。なぜ解人にだけ姿をみせるのか。解人の家族の現在と過去を行き交いながら、その謎が少しずつ解き明かされていく。(出版社HPより転載)

 

四世代に渡る物語。当たり前のことなのですが、叶わなかった恋など、父母にも祖父母にも若い頃があったのだなあ、となんだかしみじみしちゃいました。核家族が多いいまは、こういうつながりを感じることが少ない。なので、物語で感じられたこともなんだか嬉しかった。

 

また、この物語の中に、朱瑠町の人たちが毎日眺めて過ごす朱明山というのが出てくるのですが、あまりにもその情景がありありと浮かぶので、実在するのかと思って調べてしまったくらい。ファンタジーなのですが、どこかリアリティがあるんですよね。

 

“しゅるしゅるぱん”とみなが当たり前のように唱える呪文のような言葉も、実在するのかと思ってしまいました。何かを失くしたときなどに、“しゅるしゅるぱん(のしわざ)”って口にするんです。不思議な現象が、あるのが当たり前。これ、いいですよね。養老孟司さんが言ってたことを思い出しました。都会人の典型的な特徴は「人のせいにする」ことだと。都会というのは人が作ったものしかないから、何が起こっても追及すれば人のせいにできる。ところが、これが自然の中なら「仕方ない」で済む。養老さんは、自然の中の生物のことを例でおっしゃっていたのだけれど、ここに精霊的なものや妖怪も入るのではないかと。だって、岩手ですし。ちなみに、海外文学で育ってきた私は、モノをなくすと、“ああ、アリエッティのしわざだわ”と思ってました!こう思うと、なごむんですよ~。責任問題にならない(笑)。

 

さて、解人の前に現れた“しゅるしゅるぱん”と名乗る不思議な男の子、最初は座敷童みたいなものかなー、と予想していたのですが、ちょっと違いました。しゅるしゅるぱんのまっすぐな思いに最後は涙。

 

しゅるしゅるぱん、とは一体なんだったのか。ぜひぜひ出会っていただきたいな。人間以外のものが普通に存在する、ほっとする世界。色んな“思い”って、こうやって物語に綴られることで、解放されていくのかな。そんなことも思ったり。余韻のある素敵な物語でした。

素朴だけれど胸を打ち、心洗われる

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『海辺の町から』(1985年)佐藤州男作 理論社

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今日の一冊はコチラ。

これは、誰かに紹介してもらわないと、もはや出合えないかも。

絶版ですし、図書館でも閉架(書庫にあって表に出てない)状態。だから、紹介します!!!←謎の使命感。

 

ああ、出合えてよかったなあ。素朴だけれど、こみあげるものがあって、電車の中では読んではいけないタイプの物語。昔、なつかしい1900年代後半の理論社感満載です。『ぼんぼん』とか『兎の眼』『太陽の子』などの理論社大長編シリーズ。手元に置きたいから古書で手に入れよう。

 

この本を私が知ったきっかけは、友人がご縁で知り合ったさとこ先生のブログで紹介されていたからなんです。教え子の小5タクヤくんが、好奇心からタバコを吸うという事件を起こしてしまうんですね。大好きなさとこ先生を悲しませてしまって、どうしたらいいか分からなくて苦しむタクヤくん。そんなタクヤくんにさとこ先生がコピーして渡したのが、今日の一冊の中に出てくる非行少年のエピソードなんです。タクヤくんの話も泣いた。

 

25年間小学校の教員をされていたさとこ先生が、教員時代に出会った子どもたちのことを書いた、こちらのシリーズ『私が出会った子どもたち』カテゴリーもぜひぜひご覧ください!↓

ameblo.jp

 

さとこ先生のブログのこのカテゴリー、最初から一気読みしました。胸いっぱいになって泣きながら。実際にお会いしたさとこ先生ご自身は、とっても明るくて、とにかく面白い方という印象だったので、こんなに泣かされるとは思わなかった―(笑)。いやあ、もう、ほっっっんとに子どもたちって素晴らしい。

 

さて、『海辺の町』のほうの話にうつりますね。

作者は、新潟で三十年間教員をしていた方。教員人生の後半、十数年間は、障害児学級を受け持っていたとのことで、そのときの体験談を元に書きあげていて、春夏秋冬の12の月の短編からなっています。ただ、主人公は教員ではなく、駆け出しの女性新聞記者という形。新聞記者なので、当然のように時々強引なところもあったり、嘘も方便なところもあったり。そこだけは、個人的にやっぱり抵抗感じちゃったな。

 

とはいえ、エピソードの一つ一つは胸を打つものでした。素朴です。文章も。出てくるのは障害児や、非行児、学業不振児などさまざまなレッテルを貼られがちな子どもたち。あとがきによると、実は、作者自身が障害児たちに対して、最初は決していい印象を抱いていなかったそうです(←これを正直に書ける作者もすごいな、と思いました)。カリキュラム通りに進まない彼らに苛立ちを覚えていた。でも、あるとき彼らのすばらしさに気付かされるのです。球根に「話しかけて」いる子どもに衝撃を受け、目から何かが剥がれ落ち、そこから彼らのこころが見えてきたといいます。そうしたら、涙ぐみそうに幸福だった、と。

 

12の月のどのエピソードも甲乙つけがたいくらい好き。そして、心洗われる。

そして、最後の障害児学級のクリスマス会は、大フィナーレなので、お楽しみに!

『この子等に、世の光を』ではなく、『この子等を、世の光に』

 

うん、変わらなければいけないのは、目が曇ってる大人のほうなんだ。

子ども向けにやさしい言葉で書かれていますが、大人こそ読みたい物語です。

 

生きるって?自由って?

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『クリスピン』(2003年)アヴィ作 金原瑞人訳 求龍堂

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今日の一冊は、ニューベリー賞も受賞したコチラ!

それでもね、絶版で中古で7円から出品されているの見ると、なんか悲しい......。

 

中世や逃亡劇に全く興味のない私でも、一気読みの面白さでした!

 

『クリスピン』あらすじ

14世紀、中世のイギリス。大荘園領主が支配する小さな村に、名前もなく「アスタの息子」と呼ばれる13歳の少年がいた。母アスタの死後、ひとりぼっちになった少年が、泥棒のぬれ衣をきせられ命を狙われる。「ここを出て自由に生きろ」神父に背中を押され、ひとりで旅に出た少年。母の十字架に隠された秘密とは?自由とはなんなのか?旅の終わり、少年は自分の手で自由をつかむことができるのか!?アメリカの権威ある児童文学賞ニューベリー賞2003年の大賞に輝いた、ヤングアダルト小説の傑作。(BOOKデータベースより転載)

 

まあ、隠された秘密はねー、大人が読めば、正直、物足りないくらいすぐわかっちゃいますよね。だってだって、本当の名前を避けられ、村の端っこで貧しい暮しを強いられてる少年。そんな取るに足らないような少年を、濡れ衣まできせて執拗に追いかけるなんて......。本当はこの少年高貴な身分なんじゃないの?ってことはすぐ分かっちゃう。ネット漫画でもあるあるすぎるくらいの展開。

 

でもね、この物語の面白さや良さは、謎解きや逃亡劇だけにあるわけじゃあないんです。この物語の良さ、それは、テーマが“自由”だということ。

 

逃亡中に、クリスピンは大道芸人の熊と呼ばれる人物に会うのですが、この人物がとにかく興味深い!慈悲深いわけでも、信心深いわけでもなさそうなのに、時としてそうであったり。当初はクリスピンを奴隷扱いしたり、パワハラめいた嫌な人物だな、と思っていたけれど、熊は人間というのはいろんな面を併せ持つんだということを教えてくれるんです。

 

出会った当初の熊のクリスピンへの扱いは、ヒドイものでした。でもね、なんか私、熊がクリスピンにイラつく理由が分かる気がするんですよね。そのときのクリスピンは、とにかく“自分”というものがない子で、自分がどうしたいかも分からない、自己肯定感の低い子だったんです。だから、熊は本当は反発してほしかったんじゃないかな。何を命令されても、“あなたがそういうなら、従うしかないでしょ”といった感じなんです。“逃げるなよ”と言われれば、逃げれる状態であっても、逃げれるとさえ思わない。

 

そう、クリスピンは魂が抜けた状態だったんですね。そんな自分の魂を感じたことがないというクリスピンに、だったら魂があるってことをたしかめようじゃないか!と言って、熊はリコーダーを教えてくれます。そして、こんな言葉をかけるんです↓

 

「人はだれでも悲しみを抱えている。なのに他人の悲しみまでいっしょに味わいたいやつがいるか?人々が求めるのは気の利いた笑いだ。それだったら多すぎて困るってことはない。神様のなにがありがたいって、いちばんありがたいのは神様の笑い声だ。神様が笑うから、人間も笑うことをおぼえたんだ。陽気なやつはみんなに歓迎される。悲しみを捨てろ、クリスピン。そうしたら自由がみつかる」P.120

 

まあ、悲しみも悪くはないんですけどね。ただ、いつまでもそこにとどまっていたら進めない。成長できない。笑いは多すぎて困るってことはない、っていうのはそうだなあ、って。

 

また、熊のような人物に初めて出会って、色々とちんぷんかんぷんなクリスピンに対し、熊はこうも語ります↓

 

「道化師をやっていた賢い男が、あるときこういっていた。答えをもらってばかりでは死人と同じだ。なぜ、どうして、と問いつづけるからこそ人間は生きていられる。いい言葉だろ?」P.121

 

「人はだれでも自分自身の主だ。そうじゃないか?」P.122

 

これ、これ!!!

そう、長年の環境の結果、クリスピンは自分自身の主ではなくなってしまっていたのです。そんなクリスピンでしたが、熊と一緒に旅するうちに、徐々に成長していきます。ここぞというときに、熊の言いつけを守らず、危険な目にあってしまったりもしてハラハラするのですが、でも、それも彼が自分自身の主になってきた証拠。

 

この物語は中世の架空のお話だけれど、自分自身の主になれていない人は現代にもたくさんいると思うんです。毒親に育てられてしまったため、自分はもう思うようには生きられないんだ、と思い込んでしまっている人。周りの友だちや、学校、会社などの組織に違和感を覚えつつも、受け入れるしかないと思い込んでしまっている人。そんな人たちに、この物語は勇気を与えてくれます。

 

誰でも自分自身の主!

答えなんてすぐに分からなくてもいい。

大事なのは、問い続けること。

 

自分はいま本当の意味で生きてる?

自由に生きてる?

 

そんなことを問いかけてくれる物語でした。

母ちゃんラジオのススメ

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『名探偵カッレ 城跡の謎』(2019年)アストリッド・リンドグレーン作 菱木晃子訳 岩波書店

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今日の一冊は新訳になって再登場したコチラ!

 

小学生の頃、リンドグレーンが大好きで、このシリーズも夢中になって読んだ覚えがあります。でも、“面白かったー”ということしか覚えていなくて、中身はほとんど覚えていませんでした。あるある(笑)。

 

うちのやんちゃ三男(小3)は、きっとこのシリーズが好きだろうと思って、ちらちら勧めてみるものの、YouTubeの魅力には勝てず。ならば!と“かあちゃんラジオ”を発動させました。

 

かあちゃんラジオ”とは、三男が何か手を動かして遊んでいるとき、歯を磨いてるとき、着替えてるときなどに母ちゃんが朗読すること。

 

兄二人が、学校の寮に入ってしまい、現在一人っ子状態の三男。

一人っ子がこんなにキツイものだとは(母が)。永遠と絵しりとりの相手させられたり、トランプして母が勝つたびキレられたり(笑)。一緒に遊んでいて楽しいと思える親はいいのでしょうが、最初はよくても、正直飽きてくるんです……エンドレスだから。三男が寝る頃には私もぐったりで、一緒に寝落ち。ああ、本も読みたいのになあ。読むひまがない......。だったら、読み聞かせちゃえばいいんだ!

 

こうして始まったのが母ちゃんラジオです。いままでも読み聞かせはしてましたけど、なんとなく寝る前とか特別にその時間を取る感じ。そうすると、YouTubeや漫画の威力には勝てないんですね(勝ち負けじゃないとはいえ)。わざわざ時間を作るとなると断られちゃうし、お布団の中で読むと私が先に寝落ちしちゃう(笑)。だから、歯を磨いてるすきなどにちょろっとラジオ発動させるんです。いったん発動させたらもうこっちのもの。続き読んで、読んでコールが止まらない。喉が痛くなってくるー。でも、私も楽しいから、これならエンドレスでもOK!お互いハッピー!

 

そのうち、続きが気になって自分で読み始める三男。朝起きたら、すぐ読んで読んで。でも、朝って忙しいんですよね。そんなときは、母ちゃんは一緒に朝ごはん食べずに、三男が食べてる間ラジオ発動させられる(笑)。ここまでくれば、学校の休み時間も読みたくなって、本をわざわざ持っていっちゃうくらい。

 

それでもね、自分でも読めるけれど、帰宅して母がいると、かあちゃんラジオのほうがいいんです。幸せな幸せな共有時間。

 

さて、カッレシリーズ。

昔からコワイのが嫌いで、推理ものにも興味のなかった私。一体どこに惹かれたんだろうと改めて読んでみると、ただシナモンロール(旧訳では何だったんだろう?)のような美味しそうなパンが出てくるところや、北欧の自然、屋根裏のようなところを秘密基地にして遊んでたところにワクワクしたんだなあ、って。ストーリーじゃなくて、細かい部分に、逐一ときめいていた。さすがリンドグレーン、子ども心を熟知していらっしゃる。

 

なので、うちの子は探偵ものには興味ないだろうな、と思ってもリンドグレーンはぜひぜひ勧めてみてください。ワクワクがいっぱいなので。

平澤朋子さんの挿絵もピッタリ。いや、カッレもビョルク巡査イケメンすぎない?とは思いましたが(笑)。

 

この先100年も読み継がれるように、とあえて新訳を出したこのシリーズ。

今の子も夢中にさせる面白さで、大人が読めば、あの頃のワクワクを思い出させてもらえる一冊です。やっぱり、リンドグレーンはすごい!

そうだ、ノートに書こう

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『秘密のノート』(2020年)ジョー・コットリル作 杉田七重訳 小学館

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今日の一冊は、コチラ。明るい雰囲気も持ちながらも切なくなって、思わず涙する場面もありました。多分、誰でもある程度は経験してきたであろう葛藤、本当の自分を出しても受け入れてもらえるのだろうかという思春期の悩み。

 

この人の前なら自分をさらけ出せるのに、どうしてこちらの人の前では出せないんだろう、って思った思った。みんなに自分をさらけ出せたら楽なのに、って。

 

さて、ストーリ。

主人公のジェリーはクラス一のお調子者で、先生の物真似が得意。それで、笑いを取ってクラスの人気者なんです。明るくて、スポーツも万能で、今の子の言葉で言えば陽キャ。でも、本当は誰にも言えない悩みがあって、それを秘密のノートに綴っている。それが、トドのように太った自分の体型のこと。あるとき、自分のことを理解してくれると思える大人に出会って、彼女は自分をさらけ出す決意をします。

 

私、誰かをディスる(相手に敬意のない)物真似のお笑いって苦手なんです。演じてるほうにもちょっと切なさを感じるし、物真似されてる方は、一緒に笑ってはいても、決していい気持ちはしないだろうな、って思うからなんか見る気がおきない。あと自虐ネタも。この物語には、まさにそこも描かれていました。

 

思わず切なくなってしまったのは、ジェリーが男子から体型のことをからかわれたとき。彼女はあえて自虐ネタを言って笑い飛ばすんですね。そうすれば、彼女は“笑われてる”のではなく、“一緒に笑っている”から。笑われるくらいなら、一緒に笑ったほうがいい。顔で笑って、心で泣くピエロ。もうここが切なくて、切なくて。

 

それで、思い出しました。お笑いには詳しくないのですが、以前ニュースになっていたので知ったのは、ハリセンボンの近藤春菜が自分がマイケル・ムーア監督やシュレックに似てるという自虐ネタを来日中のアリアナ・グランデの前で披露したとき、アリアナは一切笑わなかったというエピソード。そして、近藤春菜に「似てないから、あなたはかわいい」と声をかけたというのです。

wezz-y.com

 

オリンピックのときも、ピックとピッグをかけて、渡辺直美を豚にして出すという演出が話題になりましたよね。そのとき、何人もの人が「彼女は芸人だからイジラれるのは歓迎なはず」のようなことを言う人がいました。でも、渡辺直美自身がそれをキッパリと否定するんですよね。あれ、よかったなあ。容姿イジリはもう古い。

https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/03/post-6_1.php

 

ただ、個人的にはやっぱり学校の授業では、別に自分をさらけ出したくはないなあ、と思ってしまいました。ジェリーたちは国語の授業で『仮面』というテーマで詩を書くことになります。それは、つまり、みなに見せられない本当の自分の姿を書いて、発表するというもの。

 

うーん、信頼している人たちの前ではさらけ出したいけれど、なぜ先生や信頼してない友だちの前までも自分をさらけ出さなければいけないのか。ここだけはちょっと反発心を感じました。

 

その他にも、毒親に育てられたため、自己肯定感の低い母親問題なども盛り込まれていて、一気読み。

 

ジェリーは悩みも深かったけれど、ジェリーにノートがあってよかったな。

誰にも言えない思いをノートに綴るの、おすすめです。人は吐き出さないといけない。言葉にするだけでデトックスできる。すぐには自分をさらけ出すことはできないかもしれないけれど、でも、少なくとも秘密のノートにはさらけ出せる。

 

どんな自分をも押し込めないこと。ないものにしないこと。

 

ありのまま

 

そんな時代が来ているようです。

ジェリーが選択肢に関して、自分で出した結論もとても爽やかで、拍手したくなるラストでした!

書籍を共有資産にするブックカフェ

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こじんまりとした心地良い空間

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本日は、素敵な素敵なブックカフェのご案内。

 

■惣commonさん

so-common.com

〒248-0031 神奈川県鎌倉市鎌倉山2-19-31
 
営業日:木〜月 10時〜18時
休業日:火、水

 

もうもうコンセプトから、置いてある本から、空間から周りの景色まで何から何までうっとり。なんて、理想的!なブックカフェでした。

 

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やっぱ『モモ』ですよね!

ああ、通いたい。場所は鎌倉山鎌倉山ってちょっと不便な場所なんです。だから、観光地にならないところがいいし、隠れ家的。周りはお屋敷街なので、お屋敷見ながら歩くだけで楽しい。物語が生まれそう。

 

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カウンター席に、外にもソファー席が

 

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広いテラスの前は爽やかな竹林!

 

色々と面白い工夫のあるお店で、本を私有物として所有するだけでなく、みんなのものとして扱うしかけを創っていきたいと思っているんだとか。

 

まず、新刊も古書も一緒に並んでいます。さらに、値段も同じ。

古書って、難しくて希少本は多少高いのは理解できるけれど、ここぞとばかりに値を釣り上げられてるのを見るたび、いままで何だかなあと思っていました。

逆に、とってもいい本なのにマイナーであるばかりに100円とかで売られているのを見るのも悲しかった。なので、この同じ値段というのはすごく共感できました!

 

次にユニークなのが、買った本はまたここで売れるということ(定価の7割の値段で買い取り)。欲しい本はたくさんあるけど、みなさん置き場に困ってるのでは?

正直、もう所有はしなくてもいいかな、でも大型新古書店に運び込んだら、価値が理解されずに廃棄されてしまうかもしれない……。そんな心配も、ここでならいらない。

自分の本棚で眠らせるのではなく、本を循環させるという考え方。

 

さらに、本棚に置ける本には限りがあるので、読書メーターというツールを使ってもコミュニケーションを取ろうとしていらっしゃいます。

 

先日のインスタライブで、ブックディレクターの幅允孝さんが本をご紹介されていたのですが、幅さんの選書なのでしょうか?スゴイ。

SDGsを意識して9つのテーマ(HP上で見れます)に分類された棚には漫画や児童文学もちょいちょい挟み込まれています!嬉しい。

 

ちなみに、私はこちらをおうちに連れて帰りました↓

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カフェなので、もちろんケーキやドリンク類も美味しい。

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紫芋とリンゴの季節のケーキ&ほうじ茶ラテ

大人っぽい空間なので、子どもは、おとなしい読書好きの子限定かなー(うちの子はムリムリ)。でも、青空市などのイベントのときはハイキングがてら、家族でも楽しめそう。

 

何人かでお茶しに行くもよし、お一人さま時間を過ごすもよし。豊かな時間が過ごせること間違いなしです。

 

これからも山越えハイキングで通いたいと思います!

 

悲しみなんていらない?

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『さいごのゆうれい』(2021年)斎藤倫作 福音館書店

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もしも、悲しみや後悔という感情がこの世からなかったら?

という、とても深いテーマ。でも、子どもでも分かるように、やさしい言葉で物語に乗せて描かれています。また、西村ツチカさんの絵もぴったりで、ともすると幽霊と聞くとこわがりそうな子でも、手に取りやすく、親しみやすいのがいい。

 

『さいごのゆうれい』あらすじ

世界中が「かなしみ」や「こうかい」を忘れて、だれもが幸せだった〈大幸福じだい〉と呼ばれた時代があった。そんな時代の夏休み、小五だったぼくは、田舎のおばあちゃんちに預けられた。空港のあるその町で、いわゆる「お盆」の、その最初の日に、ぼくは、ひとりのちいさなゆうれいに出会った。その子はいう。自分が、ゆうれいのさいごのひとりかもしれないと。ゆうれいを救い、世界を取り戻すために、ゆうれいと過ごした四日間。(出版社HPより転載)

 

「かなしみ」や「こうかい」がないのは、果たして本当に幸せなのか、ってことですよね。また、幽霊などのいない世界が本当にいい世界なのか。全然、世界観は違うけれど、『えんの松原』も思い出します。

 

大人になると、自己啓発系の本や人に出会うことが多くなって、一時期私も“ポジティブこそが善!”みたいに思ってた時期もなきにしもあらずだったかなー。ポジティブ教。でも、本当は感情に善も悪もなくて。感情にフタをすることのほうが色々弊害を起こす、ということを教えてくれたのは、児童文学でした。ネガティブなことも己の闇をも抱きとめる。向き合うってそういうこと。

 

ところで、この物語はちょっと未来のお話という設定で、どうして「かなしみ」や「こうかい」がなくなったのか物語後半で種明かしされていきます。

 

この物語の展開と現実は違うけれど、それでも、現代って少しずつ「かなしみ」が薄れてる気が個人的にはしていて。いつまでも悲しんでいちゃダメ、前に進まなくっちゃ、という風潮。だから、悲しみを人は自分の心の奥底にしまいこんで、自分の本当の感情が分からなくなってしまってる人が増えてる気がするんですよね。

 

「かなしみ」はつらくてつらくて、こんな感情なければ楽になれるのに!って確かに思うときもあるけれど、やっぱり「かなしみ」もあるからこそ世界は世界なんだなあ。

無理やり押し込めたり、ないものとして扱ったりするものではなく、受け入れて、抱きとめていくもの。

 

今回は、集中できない状況で読んでしまったこともあり(それとも大人目線でしか読めなかった?)、個人的には物語に入り込めなかったのですが、子どもたちの反応が知りたいです。