Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

ベストセラーが性に合わない

『ピアノ』(2023年)いでひでこ作・絵 偕成社 新刊よかったです!

週一更新サボってしまいました。いや、実は書いてはあったのですが、うーん、こんな文章じゃ伝わらないと思ってアップできなかったのです。毎回、“伝わらないなあ、でも、ま、いっか”とアップしてきたのですが、いつもにもまして伝わらない感がすごくて、文章力のなさに情けなくて。でも、また開き直ることにしました!

 

先日ですね、児童文学ではないとあるベストセラーを読んでみたんです。ある方が大大大絶賛していたのと、あらすじ読んだら好みだったので。さすが、ベストセラー作家。ぐいぐいと続きを読ませたくなる筆力。心温まる素敵なお話でした。

 

でもね、その大絶賛していた方が、もうもう大号泣みたいなことを言っていたのですが、あれ?私は全然泣けないどころかウルッとも来なかったのです。あらすじも設定もすべ好みなのに。児童文学では、泣くような場面じゃなくても、心の琴線に触れて、胸にこみあげるものがあり、うるうるしてしまうことが多いのに、なぜなんだろう?面白くて一気読みではあるものの、どこか冷静に「あー、映画化かドラマ化するんだろうな」「ここで読者を感動させたいんだろうな」とか考えちゃって。この違いは何なんだろう、ってずーっと考えていました。

 

さすがの筋書!構成力!うまいなあって感心するけれど、さまざまなものとつながって見えてきた世界、というより作家さんの頭の中に全てがあって、”こうしたい””こう見せたい”が先にあるように見えてしまう。あやしげな言い方だけど、いわゆる”降りてきた”物語じゃないなあ、って。

 

私の場合、好きな物語であとがき読むとたいてい“自分でもどう展開していくのか全く分かりませんでした。何かに導かれてこういう物語になりました”と書かれているケースが多いんです。作家さん自身もどうなっていくか分からないまま、何かに押されるように書き進めた、という物語が、どうやら私は好きみたいです。大人の文学にももちろんそういう物語はありますが、圧倒的に子どもの文学に多い気がしています。

 

そこで、思い出したのが、先日参加した絵本作家いせひでこさんの講演会。

 

この講演会がもう素晴らしくて!何度も何度も涙がこみあげてきました。センチメンタルな涙ではなく、いせひでこさんの真摯に生きる姿に心の底から感動してしまったのです。ああ、この方は本当に地に足をつけて、命を大切にされてる、ってじーんとしてしまったのです。そして、じゃあ私は?と問われました。

 

そのとき、いせひでこさんがおっしゃってたのは、“自分は自分で見たものしか描けない”と。情報収集段階では、ネットなども使うけれど、実際に現場に通って通って、やっと描けると。

 

『けんちゃんのもみの木』(2020年)美谷島邦子作 いせひでこ絵 ビーエル出版

こちらの日航機墜落事故のことを描いた絵本のときは、描けないと断り続けたそうです。でもね、現場見ずして、断れない、と遺族の方と何年も一緒に墜落現場の山を登られたそうです。1回じゃないんです、何年も続けて、なんです。なかなかできることじゃないと思います。1回なら取材ということでする作家さんは多いでしょうけれど、描くかも決まっていないのに何年も通い続けるだなんて、なかなかできることじゃない。対象に向かい合うその真剣さ、誠実さに圧倒されました。

 

取材力に優れてるがゆえ、短時間で物語を生み出し、次々と作品を発表できる人もいることでしょう。けれど、やっぱり時間をかけてしか紡ぎ出されないものってあるように感じています。時間をかければいいってものでもないのですが、なんて言えばいいんだろう......。

 

あ、そうか!いい物語って、その場に行って、ちゃんと“耳をすませた”感じが伝わってくるんです。作家さんが、その“場”、“モノ”、“人”に耳をすませて、すませて、聞こえない声を聞き取った感じ。

 

卑近な例になるのですが、コロナ禍のとき子どもの学校の保護者会が一時期zoom続きになって、なんだzoomでも大丈夫だし、むしろ出かけなくてすんでラクー♪って思ってたんですね。ところが、久々に対面で開催されると、全然違う。画面にうつらない周りの空気感。教室全体が語りかけてくるかのような雰囲気。物言うはずのない、机や椅子から声が聞こえてくるかのようだし、いまいないはずの子どもたちの亡霊?(←いや死んでない笑)、笑い声、幻影が見えるかのよう。それは、現場に行かないと感じ取れないもの。

 

絵本にしろ、児童文学にしろ、子どもの物語に関わる人たちは、子どもにはごまかしが効かない、文章のテクニックなんか通じないって知ってるから、シンプルな言葉で本質を伝えることにすごく時間をかけている。耳をすませている。

 

いせひでこさんの代表作でもあるこちらも、奇跡の連続でできた物語だったそうです。

ルリユールおじさん』(2011年)いせひでこ作・絵 講談社

それは、一時期パリに住み込んでまで通ったから、天からプレゼントされた物語だった。“ああ、私はこういうものが作りたかったんだ”と後から分かったそうです。

 

でね、一見関係ないように思えて、思い出したのが、こちらの本なんです。↓

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』(2022年)田坂広志 光文社新書

量子科学の世界で、ゼロポイントフィールドという宇宙のすべての情報が記録されてる場がある、という仮説。いわゆる“降りてくる”タイプの人も、ここにアクセスしやすい人なのではないか、と著者。

 

それって、修行したり瞑想したりするよりも、自分の足でまわったり、ひたすら対象物に向き合う(耳をすます)方が、実はアクセスしやすいんじゃないかな、ってふと思ったんです。ネット上でどんなに情報を検索しても、ゼロポイントフィールドへはアクセスできない。行動し、対象物ととことん向き合うことでアクセスしやすくなるのでは?なぜなら、ものにもすべて波動があり、それが発しているメッセージを受け取る(耳をすます)ことで、ゼロポイントフィールドにつながれるから。(ちょっと何言ってるか分からないかもしれませんね。すみません)

 

本当にいい物語って、本物って、あんなに短い絵本でも、ここまで時間と心、思いをかけてかけて作られている。

 

私自身は言葉を操るのが上手ではありません。でも、上手く表現できないからこそ、言葉にはならない部分をかぎ取る嗅覚はあるつもり。だから、児童文学が好きです。埋もれているいい物語をこれからも紹介していきたいです。

つたない長文、読んでくださり、ありがとうございます。