Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

ご案内:アートなイベントで読書会(修正あり)

江ノ電を窓から眺めながらの読書会

このたび2月22日(木)・23日(金・祝)に行われる“アートな暮し”をテーマにしたイベントに出店します。

 

素敵なアートな参加者たちの中で、私だけアート感なし。紛れ込んだ一般人感ハンパないですが……。

物語に出て来そうなお庭と館での開催ですので、ぜひ遊びにいらしてください。

脇には江ノ電がゴトゴト走るのどかな環境が、とおっても素敵なんです。

(※壊れやすいアンティークの多い会場側の都合で、お子様は不可なんだそう。ごめんなさい)

 

読書会以外にも、ゆる読書相談や、書籍・雑貨の販売もこじんまりとやる予定。

詳細はコチラ↓

 

 

以下は私担当のところのご案内になります↓

 

 

【読書会テーマ:憧れの暮し】

読書会ってなあに?聞いてるだけでもいいの?という初めての方も

マニアックなことが話したい!という方も

いずれも大歓迎です。

 

誰かと話すことで、自分でも見えていなかった自分の本当の望みに気づいたり。

口に出すことで、憧れの暮しに一歩近づいたりするから不思議なんです。

この読書会に参加することが、憧れの暮しへの一歩につながるかもしれません。

 

それに、一期一会の知らない人同士って、案外本音を話しやすいもの。

ホラ、旅先で出会った人とはいきなり深い話ができる、あの感じ。

小人数で、あなたの憧れの暮しについて語りあってみませんか?

以下の内容で2冊ご紹介ください。

 

①あなたの憧れ、目指したいのはどんな暮し?あなたの憧れが詰まった本をご紹介ください。写真集、絵本、物語、エッセイ、漫画、本のジャンルは何でも。

(持参するのが重ければ、表紙画像の紹介だけでも大丈夫)

 

②もし何の制約もないとしたら、してみたい暮しは?過去の世界、異世界無人島、宇宙なんでもあり。非現実的だっていい、あなたの“究極の憧れ暮しが描かれた本をご紹介ください。

 

■日時:2月22日(木)13:00―14:30

           2月23日(金・祝)10:30-12:30

 

■場所:garden&spaceくるくる 2F

       https://kurukuru2014.jimdofree.com/access/

 

■参加費:1,200円(デリドコさんのお茶菓子付)

※要事前予約(DMまたはotsujishino@gmail.comまで)

 

■持ち物:紹介する本2冊(上記参照)

 

■当日の流れ:軽く自己紹介→各自本の紹介(一人約5分)→紹介された本についてフリートーク→感想

 

※宗教やネットワークビジネス勧誘目的の方はお断りします

鎌倉観光もできるし、よかったら。

お待ちしております。

 

【カードセッション&ゆる読書相談】

※ごめんなさい。こちらは諸事情により中止します。

色々理由はあるのですが、自分の中にわきおこってきた”違和感”を大事にしたいと思います。もし、検討してくださっていた方がいたら、気軽に普通に相談してくださいね。

読書相談は無料でいつでもご相談にのります。

 

 

むなしくなったりするけれど

関東は初雪!まるで水墨画の世界

少ない雪でもミニミニ雪だるま~

今日は関東では初雪!もうもう子どもたちは大はしゃぎです。

 

私はといえば、先週右手指を骨折してしまい、利き手なのでほぼ何もできず……これをいいことに何もしてません(ニヤリ)。いや、本当のことをいうと、最初はスマホ三昧でした。左手指一本で操作できて便利だし、とにかく痛くて痛くて、最初の頃は思考停止で読書どころではなく、ぼーっとくだらない動画眺めているのが正直ラクだったのです。無意味にYouTube shortを見続けたり。スマホ見てるとあっという間に一日が終わる。『モモ』に出てくる時間泥棒のごとく。ダメ人間まっしぐら~で、夫に心配される始末でした。

 

でも、雪と読書ってあいますよね。ちょっとずつ痛みもおさまってきたので(全治2-3か月らしいけど)、雪降る今日はおうちでぬくぬく本を読みました(ダメ人間ちょい脱出!)。

 

というわけで、今日の一冊はこちらを再読しました。

『雪のひとひら』(2008年)ポール・ギャリコ作 矢川澄子訳 新潮文庫

ちなみに、装丁は、現在の文庫版より単行本のときの茶色ベースの地味なときのほうが個人的には好きでした。

 

以前読んだときは、学生時代、多分中高のとき。正直、この物語の良さが分からなかったんですよね。ふーん、って感じ。なぜ、母がいたくこの物語を気に入っていたのかも分からなかった。でも。いま、自分が当時の母の年齢になって再読してみたら……沁みます。女性の一生を雪のひとひらに例えた物語。特に終盤では涙が出てきました。

 

おおいなる創造主の手によって造られ、そのもとへ帰っていく私たち。

何の目的で私たちは造られ、何のために生きているのか。

 

分からないまま、それでもこの世のさまざまな美しいものに心から感動したり、つらい目にあったり、ときには無気力になったり。

 

臨終のときにあっても、雪のひとひらは虚しさに襲われるのです。

 

こうして死すべくして生まれ、無にかえるべくして長らえるにすぎないとすれば、感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?(P.92)

 

それはそれは悲痛な叫びです。臨終のときまで、むなしい思いにとらわれていたけれど、それでもいままでの人生が走馬灯のように彼女をめぐったときに彼女は悟るのです。自分の全生涯が奉仕を目ざしてなされていたことを。創造主から片時も忘れられたり、見放されたりしていなかったことを。

 

最後のほうまで虚しさに襲われているからこそ、説得力があります。

そして、救いがあります。

 

雪が降ったからこそ、再読しようと思い立った。雪からの思いがけないプレゼント。

これぞ、大人のための児童文学でした。ぜひ。

あとがきにガツンとやられる

『緑の髪のパオリーノ』(2020年)ジャンニ・ロダーリ著 内田洋子訳 講談社文庫

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今日の一冊は、荒井良二さんのカバー装画に惹かれて選んだ一冊。

朝起きたての眠たいとき、家事の合間、電車で、寝る前になどなど細切れ時間に楽しめる短編集です。

 

正直な感想書きますね。最初読み進めたときの感想は、

 

へっ!?ちょっと待って、ここで終わる!?(唐突すぎるでしょ笑)

あ、これ最後まで読めないかも……

 

でした。そもそも、ナンセンス文学ってものが苦手だったんです。

 

ところがですね、一つ一つのお話が短いものだから、もうちょっと読んでみようかな、あと1話、あと1話と読み進めていったら、気付いたらロダーリワールドにひき込まれていたみたいです。なんだこれ?ってなったり、ふふっ、ってなったりしながら、気付いたらなんだかちょっと心が軽くなったみたい。

 

そして、荒井良二さんのあとがきを読んで、ガツンと殴られたような気分になりました。

 

読むたびに、「あなたの頭は、石みたいに硬いですね?」と言われているようで、そのとおりです!と重い頭をつい垂れてしまう

 

と。えー!あんなに自由な発想の荒井良二さんの頭が石みたいに硬いなら、私の頭は……岩?化石???

 

荒井良二さんにとって、ロダーリの書く物語は、だいじなお守りのようなあめ玉で、いつも心のポケットに忍びこませているそうです。そうしているうちに彼の創作する石頭は少し溶けて、いい感じに柔らかくなるかもしれない、と。

 

色んな「〇〇ねばならない」から解放してくれるのが、こういうナンセンスな物語なのかもしれません。柔らかく軽やかに生きたいな、最近コチコチになってきたな、と思ったら私もロダーリを取り出そう!意味のないもの、むだなものが本当は大事なのかもしれない、世界をやわらかくするのかもしれない、と思う今日この頃です。

 

怪異がある方が健全!?

『博物館の少女 怪異研究事始め』(2021年)富安陽子著 偕成社

『博物館の少女 騒がしい幽霊』(2023年)富安陽子著 偕成社

 

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今日の一冊ならぬ二冊は、いますぐ上野に飛んでいきたくなるコチラ!

 

続編とともにワクワクと一気読み。ああ、これは第3巻、4巻とどんどん続きを出していただきたいなあ。アニメ化できそう。

 

富安陽子さんといえば、絵本の『まゆとおに』のやまんばシリーズが大好きだったのですが、実は長編はほとんど読んだことがなかったのです。児童文学好きの間で好評だったので、手に取ってみたところ、うんうん、面白かったです!

 

時代は、文明開化の明治16年の東京。着物メインのところに、ときどき洋装の人がいるような時代。

 

なんだろう、この時代特有のワクワクするようなエネルギーは。新しい時代の幕開けのエネルギーなんでしょうか。この時代といえば、大和和紀の『ヨコハマ物語』という漫画も私大好きで。人々がイキイキとしていて、町全体に活気があるような、そんな空気が伝わってくるんです。

 

主人公は、大阪で古物商を営む家に生まれた花岡イカル13歳。両親を亡くし、親戚のいる上野へと上京してくるところから物語は始まります。上京した先の夫婦は厳格で、静かな生活を強いられるから、まだ若くてエネルギーに満ち溢れてる関西人のイカルにはたまったもんじゃあない。ある日、用事を言いつけられて博物館を訪れたイカルは目利きの才を見込まれて、博物館の古蔵にある怪異研究所の手伝いをすることになるのです。そこで不思議な事件が起こり……。

 

博物館の館長や、怪異研究所の所長、イカルの親戚という設定の天才絵師河鍋暁斎とその娘でイカルと仲良しになるトヨ(暁辰)、山川捨松など実在の人物たちが多数登場することもあってか、とてもリアリティがあるんです。この物語をきっかけに、この時代のこと、この時代の人々のことをもっと知りたくなりました!なんなら、博物館もあまり興味なかったのに、いますぐにでも行きたいです。この物語をきっかけに、色んな興味が広がっていく。そこが、いいんですよねえ。

 

ところで、イカルがお世話になる先の厳しい夫妻(こちらは架空)、妻の登勢(とせ)は、厳しい態度は変えられないけれど、言動のところどころにイカルを思いやる気持ちがときどき(本当にときどきだけど笑)垣間見られ、『赤毛のアン』のマリラや、『えんの松原』の伴内侍を彷彿させる。好き。

 

そして、怪異なので当然ミステリー要素も満載。実は、私ミステリーものが大の大の苦手で、安心して読むために結論から先に読むくらいな人だったので、この手の物語は避ける傾向に。が、富安さんの物語は大好きでした。主人公の花岡イカルの関西人らしい明るさ、屈託のなさがいいんですよねえ。だから、怪異に包まれていても、全体的に物語が明るい。それに、全てが怪異なわけじゃなくて、そこには怪異現象と見せかけた詐欺もあるわけで。そこもイカルは見抜くわけです。本人的には見抜くってほど大げさなものではなくて、ただ観察眼がすぐれているから気づくっていう感じなのだけれど。

 

怪異現象が当たり前に存在する世界。なんだか、そのほうが健康的な気がするのです。『えんの松原』にも書かれていたなあ。怨霊が忘れらた世界のほうがこわい、って。

そして、こうやって物語に描いてもらうこと、誰かに思い出してもらう、知ってもらうことで、そういう霊たちは成仏?できるような気がしてくるのです。

 

何か面白いもの読みたいなと思って手に取ったら、なんだか前向きになる気持ちまでもらえちゃった。そんな物語でした。健全な(笑)怪異。逆に怪異が当たり前にあることが、世の中を健全にする?

どんどん続編出していってもらいたいです。

ざわつく心に平和をもたらすブックリスト

年末訪れた清里 自然の中はやっぱり気持ちいい!

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気付けば1月も半ばです(びっくり!)

 

すっかりご無沙汰してしまいました。今年は年始から心痛めることが続いて、なんだか書けませんでした。色んな思いが交錯し……でも、それはまた別の機会に。まだまだ心がざわついてる方も多いと思うので、今日は不定期掲載している某紙に12月に紹介したブックリストをここでも再紹介させてください。

 

実は、先方からの依頼内容は、「こんなご時世なので“戦争と平和”でどうでしょう?」というものでした。でも、そのテーマは過去にも既に掲載済みだったのと、年末に暗い気分になりたくないよなあ。そもそも平和って?というところからちょっと考えこんでしまいまったのです。

 

みな頭では世界平和が大事だって思ってるけど、もし自分自身が苦境のさなかにあったら……正直それどころじゃないですよね。まずは自分が平和でなければ、周りの正直平和なんて願えない、というかそんな余裕ない。そして、心がざわつく理由も人それぞれで。だから、こういうタイトルにさせてもらいました。

 

届けたい ざわつく心に平和を

 

紙面での紹介の難しさって、ブログと違って文字数がかなり限られてることなんですよね。タイトルに込めた思いを説明することもできないし、紹介文も字数が限られてる。そんな中でどこまで届けられるかな、って歯がゆい気持ちはつきまとうけれど、一人でもいいから、必要としている人に届くといいなという祈りをこめて。

 

無謀なのはわかってるんです。だって、同じカテゴリーの悩みですら人それぞれで、その人に合う本ってそれぞれ違うから。それでも。それでもね、一人にでも届けばいいかなあ、って。紹介したのは以下のとおり↓

 

 

①『虫眼とアニ眼』(2008年)養老孟司宮崎駿著 新潮文庫 

虫が大好きな養老孟司とアニメ界の巨匠宮崎駿が、宮﨑作品を通して自然と人間について考え、若者や子どもへの思いを前向きに語ったもの。心がざわつくのは、人間関係ばかりに焦点を当てているからかも。たまには、人間以外の世界に触れよう。“お先真っ暗でいいじゃない。だから、人生は面白い”と養老氏。感性の育み方が興味深いんです。

 

『共感革命: 社交する人類の進化と未来』(2023年)山極壽一著 河出新書 

山極氏は、京大元総長だった霊長類学者で総合地球環境学研究所所長。人類が直面する問題や課題、未来を、類人猿の「社会」の成り立ちを振り返りながら解説。

 

戦争や環境問題などの危機を前に、絶望的な気持ちになるときに。「共感革命」という切り口から長い長い歴史を振り返ると、違う視点で人類の本性が見えてくるんです。新しい未来への希望が湧いてくる一冊。

 

これ、何がいいって、山極さんは若者たちを信頼しているところなんですよねえ。とかく子どもたちの未来を不安視したり警鐘を鳴らすものが多い中で、ああ、この人は子どもたちの可能性を信じてるんだな、ってなんだか嬉しくなりました。

 

③『死は存在しない:最先端量子科学が示す新たな仮説』(2022年)田坂広志著 光文社新書 

死後我々はどうなるのか。輪廻転生、前世記憶などを、最先端の量子科学の知見から仮説をたて、読み解く。

 

死への不安から心がざわつくものの、宗教にもスピリチュアル系にも抵抗がある方へ。量子科学の“ゼロ・ポイント・フィールド”仮説が証明されれば、真実は一つと実感できる。一読の価値ありの個人的には納得の一冊でした!

 

④『わたしはあかねこ(20011) サトシン作 西村敏雄絵 文渓堂

 家族全員白か黒の毛色の中、ひとりだけ赤毛のあかねこ。そのままの自分を受け入れてもらえないあかねこは、家族の元を去り……。

 

そのままの自分を受け入れてもらえず苦しんでいる人に。環境を変えることで心に平和が訪れることを、あかねこが教えてくれます。うん、石の上にも三年とか我慢とかもういいから、環境変えてみるのもいい。よかれと思って子どもを変えようとする困った大人にも(むしろ、そちらの方に)ぜひ。

 

ブッダとシッタカブッダ』(2003年)小泉吉宏著 KADOKAWA

漫画と侮るなかれ。悩めるブタの前に現れるシッタカブッダが、人生の幸福、不幸、悩みの正体について易しい言葉で語る。シリーズの1作目(個人的には3作目が特に響いた)。

 

本当に大切なことはいつだってシンプルかつ深い。人生の根源的な問いを、4コマ漫画で描く。心の運転の仕方を知ることにより、あらゆる思い込みや偏見から解き放ってくれる傑作。小学生にも響きましたよ!

 

⑥『さみしい夜にはペンを持て』(2023年)古賀史健著 ポプラ社 

日記を書くことで自己と対話する方法を、中学生の主人公タコジローの物語で描く。自分を好きになれない人たちへの救いの書。

 

書くことで、心のざわつきを取りのぞこう。そう言われても、何をどう書いていいか分からない人へ。答えではなく、答えの出し方を、具体的かつ一歩踏み込んだところまで教えてくれる一冊。

 

⑦『楽しいムーミン一家』(2011年)トーベ・ヤンソン著 山室静訳 講談社文庫

 

ムーミンシリーズ第3作。ムーミンが発見した黒い帽子は、飛行おにの落とした魔法の帽子で、次々と事件が起こり……。

 

暗いニュース続きで、塞ぎがちな気分に風穴をあけてくれるのが児童文学。読めば、欠けていた何かが満たされ、内側が整う不思議な感覚に。児童文学には、必ず救いと希望がある。もっと物語を。

 

はい、最後に児童文学持ってきました!

ムーミンだけじゃない。本当は、もっともっと児童文学を、物語をおすすめしたいなあ。抱えている悩みに直接的には関係ないような物語がいいんです。直接的だとハウツーに陥りがちで、一見答えをもらったかのような気にはなるけど、本当に心が晴れたり、抱えて生きていこうと思えるのって、ハウツーじゃないから。ハウツーは受け身になりがちだから。

 

だからね、児童文学ではないけれど、こちらの本を読んだときも、そうそうそうそう!って一人興奮して頷いたんです笑。↓

 

『お探しものは図書室まで』(2023年)青山美智子 ポプラ文庫

この物語では、さまざまな悩みを抱え、人生に行き詰った登場人物たちがとある町の図書室を訪れます(図書館ではなく、図書室というこじんまりとした空間、司書との距離感がポイント)。そして、そこには無愛想な司書さんがいて、彼女がくれるブックリストの最後に必ず関係ないような“なんでこの本?”っていうような本があるのです。

 

“なんでコレ?”

その引っかかりが、自分の中から“問い”を引き出してくれるのかも。それぞれ自分で問いをたて、自分で道を見つけていくんですよねえ。この司書さんが余計なアドバイスとかしないのがいいんだな。

 

それでは、こんなスロースターターな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

変えられないと思っている人に

『人間になりたがった猫』(1977年)ロイド・アリグザンダー作 神宮輝夫訳 評論社

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今日の一冊は、日本では原作よりも劇団四季によるミュージカルのほうが有名かもしれないコチラ!文字も大きめ、短い物語ですぐ読めちゃいます。本が苦手な子にもおすすめ。

 

ふふふ、ユーモラスで面白かったです。たまにこういう物語を読むと、なんだかリセットされます。訳が神宮輝夫さんだったので、間違いない!と思って手に取りました。

あとがきの中で、

 

世の中には、子どもの文学と大人の文学をわけて考える人と、そんな区別はないと考える人とがいます。私は、この本が、そうした垣根をつくることをの無用さをはっきりしめしていると思います。(P.196)

 

と神宮輝夫さんが述べられているのですが、私も賛成!子ども“も”読めるようにルビをふったりするのは大事。けれど、変に区別してしまうことで、本当は大人こそ読んだほうがいい物語や子どもだけれど背伸びしたい子など、本当はあなた(わたし)のための物語なんだけどな、っていう人に届かなかったりすることを感じているから。

 

物語は、ダンスタンの森に住む、大魔法使いステファヌス大学士の飼い猫のライオネルが、人間になりたがるところから始まります。ステファヌス大学士は大反対。だって、過去にブライトフォードという町に住んでいた頃、さまざまな秘法を伝授してあげたのに、ことごとく彼らがその使い道を悪い方向にしたからなんです。

 

棒で苦労して土を耕している姿を見て、すき、くまで、くわなどを作る方法を教えたら、人間は剣や槍を作る。病気がちだったので、薬草の使いかたを教えれば毒薬を煎じる方法を見つける。役に立つ友にさせるため、牛や馬を飼うことを教えると、友どころか、こきつかって働かせる。しまいには、農民や商人たちが川を渡らなくて済むように橋を作ってあげると、通行料を取るようになる。その話を聞いても、人間になりがたるライオネル。しまいには願いをかなえ、町へ向かいます。さあ、どうなるでしょう?

 

人間の愚かさが、とっても分かりやすく描かれています。そして、ああ、私も麻痺してる部分いつの間にかいっぱいあったなあ、と気付かされる。おかしなことには、おかしい!ってもっと声をあげよう、って気付かされる。物語の展開も読めるし、一見単純に見えるかも。でもね、一見ムリと思うものに立ち向かう勇気をもらえるんです!

 

この物語の中では、悪人は最後までとことん悪人として単純化して描かれています(そこがいい)。長編の物語だと、人間はキャラづけできるものではなくて、悪人にだって背景はあるからそこも描いてほしい、って思いがちな私ですが、こういう物語は別。変に改心してみんな仲良く暮らしましたとさ、じゃないところがいい。

 

悪い人間は、とことん救いようがなく悪者として描かれていますが、それに立ち向かう勇気ある人々がいる。そして、その勇気ある人を支えようと助けるまわりの人々の姿に、人間って確かに嫌なものかもしれないだけど、いいものでもあるなあ、ってしみじみと思わされるんです。あきらめずに、変えようとする人々がいることに救われる。

 

そんな人々との出会いを通し、ライオネルは”愛”を知っていくのです。

 

さあ、“愛”を知ったライオネルは、果たして猫に戻るのでしょうか?

 

気軽に読めて、それでいて力をもらえる物語でした。疲れている大人にこそぜひ。

ベストセラーが性に合わない

『ピアノ』(2023年)いでひでこ作・絵 偕成社 新刊よかったです!

週一更新サボってしまいました。いや、実は書いてはあったのですが、うーん、こんな文章じゃ伝わらないと思ってアップできなかったのです。毎回、“伝わらないなあ、でも、ま、いっか”とアップしてきたのですが、いつもにもまして伝わらない感がすごくて、文章力のなさに情けなくて。でも、また開き直ることにしました!

 

先日ですね、児童文学ではないとあるベストセラーを読んでみたんです。ある方が大大大絶賛していたのと、あらすじ読んだら好みだったので。さすが、ベストセラー作家。ぐいぐいと続きを読ませたくなる筆力。心温まる素敵なお話でした。

 

でもね、その大絶賛していた方が、もうもう大号泣みたいなことを言っていたのですが、あれ?私は全然泣けないどころかウルッとも来なかったのです。あらすじも設定もすべ好みなのに。児童文学では、泣くような場面じゃなくても、心の琴線に触れて、胸にこみあげるものがあり、うるうるしてしまうことが多いのに、なぜなんだろう?面白くて一気読みではあるものの、どこか冷静に「あー、映画化かドラマ化するんだろうな」「ここで読者を感動させたいんだろうな」とか考えちゃって。この違いは何なんだろう、ってずーっと考えていました。

 

さすがの筋書!構成力!うまいなあって感心するけれど、さまざまなものとつながって見えてきた世界、というより作家さんの頭の中に全てがあって、”こうしたい””こう見せたい”が先にあるように見えてしまう。あやしげな言い方だけど、いわゆる”降りてきた”物語じゃないなあ、って。

 

私の場合、好きな物語であとがき読むとたいてい“自分でもどう展開していくのか全く分かりませんでした。何かに導かれてこういう物語になりました”と書かれているケースが多いんです。作家さん自身もどうなっていくか分からないまま、何かに押されるように書き進めた、という物語が、どうやら私は好きみたいです。大人の文学にももちろんそういう物語はありますが、圧倒的に子どもの文学に多い気がしています。

 

そこで、思い出したのが、先日参加した絵本作家いせひでこさんの講演会。

 

この講演会がもう素晴らしくて!何度も何度も涙がこみあげてきました。センチメンタルな涙ではなく、いせひでこさんの真摯に生きる姿に心の底から感動してしまったのです。ああ、この方は本当に地に足をつけて、命を大切にされてる、ってじーんとしてしまったのです。そして、じゃあ私は?と問われました。

 

そのとき、いせひでこさんがおっしゃってたのは、“自分は自分で見たものしか描けない”と。情報収集段階では、ネットなども使うけれど、実際に現場に通って通って、やっと描けると。

 

『けんちゃんのもみの木』(2020年)美谷島邦子作 いせひでこ絵 ビーエル出版

こちらの日航機墜落事故のことを描いた絵本のときは、描けないと断り続けたそうです。でもね、現場見ずして、断れない、と遺族の方と何年も一緒に墜落現場の山を登られたそうです。1回じゃないんです、何年も続けて、なんです。なかなかできることじゃないと思います。1回なら取材ということでする作家さんは多いでしょうけれど、描くかも決まっていないのに何年も通い続けるだなんて、なかなかできることじゃない。対象に向かい合うその真剣さ、誠実さに圧倒されました。

 

取材力に優れてるがゆえ、短時間で物語を生み出し、次々と作品を発表できる人もいることでしょう。けれど、やっぱり時間をかけてしか紡ぎ出されないものってあるように感じています。時間をかければいいってものでもないのですが、なんて言えばいいんだろう......。

 

あ、そうか!いい物語って、その場に行って、ちゃんと“耳をすませた”感じが伝わってくるんです。作家さんが、その“場”、“モノ”、“人”に耳をすませて、すませて、聞こえない声を聞き取った感じ。

 

卑近な例になるのですが、コロナ禍のとき子どもの学校の保護者会が一時期zoom続きになって、なんだzoomでも大丈夫だし、むしろ出かけなくてすんでラクー♪って思ってたんですね。ところが、久々に対面で開催されると、全然違う。画面にうつらない周りの空気感。教室全体が語りかけてくるかのような雰囲気。物言うはずのない、机や椅子から声が聞こえてくるかのようだし、いまいないはずの子どもたちの亡霊?(←いや死んでない笑)、笑い声、幻影が見えるかのよう。それは、現場に行かないと感じ取れないもの。

 

絵本にしろ、児童文学にしろ、子どもの物語に関わる人たちは、子どもにはごまかしが効かない、文章のテクニックなんか通じないって知ってるから、シンプルな言葉で本質を伝えることにすごく時間をかけている。耳をすませている。

 

いせひでこさんの代表作でもあるこちらも、奇跡の連続でできた物語だったそうです。

ルリユールおじさん』(2011年)いせひでこ作・絵 講談社

それは、一時期パリに住み込んでまで通ったから、天からプレゼントされた物語だった。“ああ、私はこういうものが作りたかったんだ”と後から分かったそうです。

 

でね、一見関係ないように思えて、思い出したのが、こちらの本なんです。↓

『死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説』(2022年)田坂広志 光文社新書

量子科学の世界で、ゼロポイントフィールドという宇宙のすべての情報が記録されてる場がある、という仮説。いわゆる“降りてくる”タイプの人も、ここにアクセスしやすい人なのではないか、と著者。

 

それって、修行したり瞑想したりするよりも、自分の足でまわったり、ひたすら対象物に向き合う(耳をすます)方が、実はアクセスしやすいんじゃないかな、ってふと思ったんです。ネット上でどんなに情報を検索しても、ゼロポイントフィールドへはアクセスできない。行動し、対象物ととことん向き合うことでアクセスしやすくなるのでは?なぜなら、ものにもすべて波動があり、それが発しているメッセージを受け取る(耳をすます)ことで、ゼロポイントフィールドにつながれるから。(ちょっと何言ってるか分からないかもしれませんね。すみません)

 

本当にいい物語って、本物って、あんなに短い絵本でも、ここまで時間と心、思いをかけてかけて作られている。

 

私自身は言葉を操るのが上手ではありません。でも、上手く表現できないからこそ、言葉にはならない部分をかぎ取る嗅覚はあるつもり。だから、児童文学が好きです。埋もれているいい物語をこれからも紹介していきたいです。

つたない長文、読んでくださり、ありがとうございます。