今日の一冊は、ひこ田中さんのメルマガでめちゃめちゃ面白いと推されていたコチラ!
戦争文学でありながら、最後に爽やかな風が吹き抜ける物語です。
ところで、私の周りでは、いま朝ドラの『虎に翼』がアツい!うちにはテレビがないので、たまに週末に実家に帰ったときに、まとめてみています。朝ドラでも出てきましたが、招集令状はホントに胸がきゅうってなりますね……こんな時代もうごめんです。
でも、世界各地ではいまだこんな状況が繰り返し起こっていて。戦争はやりたい国のトップ層だけで、解決してほしいわあ、話し合いで。大人なんだから、市民や子どもたちを巻き込まないで!って思います。
戦争はどうしても弱いものたちが犠牲になってしまう。今日の一冊の主人公も、戦争の犠牲になった子どものお話。キンダートランスポートというシステムに助けられ、ドイツからイギリスの農場へと渡ってきたユダヤ人の女の子アンナの物語です。犠牲といっても、アウシュビッツ行きを免れたわけだし、疎開先にも同年代の仲良くしてくれる女の子や、寄り添ってくれる優しいローズおばさんがいて、自然豊かな農場暮らしができている。すごく恵まれているんです。
そう、すごく恵まれている。とつい、外野は思ってしまう。でも、それを思ってもいいのは犠牲になった張本人だけってこと、私たち外野は忘れちゃいけないなあ、って改めて思わされました。
例えば、ある日アンナは、ステイ先の女の子モリ―と喧嘩をするんですね。その原因が、アンナがお手伝いをしたり、勉強に励んだり、とってもいい子だから、というものだったんです。それを見てるモリ―は、まるで自分が悪い子のように感じはじめる。忙しければ色々と(戦争のこと、両親のことを)考えなくて済むから、というアンナに対し、モリ―は、じゃあもうちょっとだけやる気おさえてくれない?イライラするから、と。ツラさの温度差よ……。するとアンナがこう叫ぶんです。
“好きで知らない国で、知らない家族と住みたかったわけじゃない!与えられた環境を最大限生かそうとしてるだけ!”
まあ、なんて恩知らずな。日本人的感覚では信じがたいとつい思っちゃう(あれ?私だけ?)。が、海外の児童文学を読んでいると、疎開先でこういう発言するのを目にするのは珍しくないんですよねえ。そう、忘れちゃいけない。彼らだって、望んでそうなったわけじゃない。それらをありがたいと思うかどうかを決めるのは、あくまでも“受け取り側”なのです。こちらの本を思い出しました(とってもいいです!おすすめ!)↓
また、基本アンナはとても恵まれた環境にはいるのですが、学校ではアンナをドイツのスパイと疑うビリーという男の子から嫌がらせを受けたりもします。ただ、ビリーが嫌がらせをする理由を知ればそれも切なくて。ビリーのパパはフランスでナチと戦っているのです。本当はアンナもそのナチの犠牲者なのだけれど、ドイツから来たということでドイツ人のスパイだと思い込んだビリーは、ドイツ人の子がゆうゆうと学校に通いながらスパイをしてると思うと、パパが命をかけているのがバカバカしくなる、と。
ビリーってひどいやつ、と単純に思いがちだけれど、これにはそうする背景あり。この子たちが、こんな関係性になる必要性はどこにもない。全部大人のせいなの、忘れちゃいけない。
さて、後半はアンナが脱走兵になりすましてスパイを見抜いてしまうところから、物語がスリルある展開になっていきます。ここからは、ハラハラドキドキの痛快物語が始まりますよ~。ページをめくる手が止まらず、エンタメとしても面白い!
そんなうまくいくか、とか、しょせん戦勝国が描く物語よね、という思いもよぎらないでもない。けれど、それでも最後にアンナが自分なりのやり方で、世界をよりよい場所にしようと努力する姿には、ハッとさせられます。じゃあ、大人である私自身は、世界をよりよくするために何ができているのかな、と問われる。
戦争のように、個人ではどうしようもない大きな壁がたちはだかると、私たちは無力感に打ちのめされます。そんなとき、アンナの学校の先生が言ったこんな言葉も、個人的には印象に残りました。
「自然って、ほんとうにいやされるわね。わたしたち人間がどんなに世界をめちゃめちゃにしたって、自分の仕事を自分のリズムでつづけているんですもの。どんなにわるいニュースがあっても木は葉をつけるし、つぼみは花をひらくのね。とても勇気づけられるわ」(P.130)
ああ、自然が気づかせてくれることはとても多い。人間がコントロールできない世界が存在するということは、なんてホッとすることか。
最後に。
キンダートランスポートで命を救われた子どもたちが1万人いたことは、希望です。
一方で、救われなかった子が150万人という衝撃……自分ができることを考えていきたいです。