Pocket Garden ~今日の一冊~

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謙虚さって、強さだったのか!となった物語

『第八森の子どもたち』(2007年)エルス・ペルフロム作 野坂悦子訳 福音館文庫

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今日の一冊は、なんでもっと早く読まなかったんだー!?読めて本当によかった(涙)、となったオランダの物語。

 

正直言うと、私は戦争文学が苦手です。読むと苦しくなるから。もう、戦争がダメなのはわかってるから、勘弁して、って気持ちになってしまう。目をそむけるな、と思う人もいるかもしれませんが……私の場合は、むしろ小さい頃から反戦ものを見過ぎ、読み過ぎていっぱいいっぱいになってしまった感じです。

 

そんなわけで、今日の一冊も“とてもいいよ!”という声が聞こえてはいたものの、どうにも気が重く、なかなか手に取れなかったのです。が、“戦争というよりも、子ども時代にフォーカスして描かれていて、とてもいいから”という友人の言葉があったので、ようやく読んでみました。

 

もう、予想以上に大好きでした。ドラ・ド・ヨングの『あらしの前』『あらしのあと』を読んだときと同じような感覚とでもいいましょうか。あるいは、『小さい牛追い』を読んだときのような感覚(こちらは、戦争ものでなくひたすらほのぼのだけれど)。

 

舞台は、第二次世界大戦末期のオランダ。町をドイツ軍に占領されて追い出されたノーチェ親子は、とある田舎の農家にたどりつき、そこに住まわせてもらうことになります。そこでの日常は、戦争の影はあまりなく、平穏にも見えるのですが、次々と助けを求めてくる人たち、脱走兵、森にかくまわれたユダヤ人一家など、田舎の生活にも徐々に戦争の影が忍び寄ってくる。それを11歳のノーチェの目を通して描いた物語。

 

図書館で借りたのですが、これは買おう!と思い直しました。手元に置いておきたいからというのもありますが、買わないと絶版になっちゃうから。そうなってほしくない、こういう物語は手渡されていってほしいって思ったから、置き場がなくなってきている本棚が気になりつつも、買うことにします!

 

戦争時代なので、胸の苦しくなる場面ももちろん出てきます。抵抗運動に参加したため、屋根裏部屋にかくまわれているうえに結核まで患っているテオ。逃げ出す少年兵(切ないです。だって少年なんですよ、まだ)。森の中にかくまわれたユダヤ人一家、裏切って密告する誰か。前線に出ることが決まった前の晩、狂ったようにお酒を飲みまくる兵士と、全く飲まず見守る将校たち(個人的にはこの場面が、何とも言えない気持ちになりました。敵とか味方とかじゃなく、いつだって死なされるのは弱者なんだなって)

 

それでもね、それを上回るような農場での輝いてる日々もあるわけなんです。全体のトーンとしては明るいので、読み進められるのかも。動物も人間も出産のシーンではこんな中でも命が生まれると、静かな感動に包まれます。淡々と描かれた田舎での楽しい生活が、心の深い深いところに響く、そんな物語。

 

この物語で、一番印象的だったのは、やはりノーチェたちを住まわせてくれる農場主の一家。こういう人たちがいることが、もう希望なんだなあ。障害をもった手のかかる子と当たり前のように暮し、結核の抵抗運動者をかくまい、助けを求めにくる人たちがいれば拒まず、森の中のユダヤ人一家をサポートする。

 

バレたら、自分たちの首も危ないようなことを淡々とやってのけるんです、この家族。いわゆるレジスタンスに加わったりすることはなく、表面的には従順を装いながら、自分たちの良心に従って、できる限りの力を尽くすんですね。すごい、すごい。自分が同じ立場にいたらできるだろうかって考え込んでしまう。だって、家族を危険にさらしてまで、よく知らない他人を救おうなんて思える自信は、正直ない。

 

なんだろう、その姿は、誇り高く生きるとか、気高い精神というのともちょっと違うんです。そうじゃなくて、うーん、なんだろう彼らを表す言葉。正義感や倫理観が強いのも、もちろんそうじゃなきゃできないんだろうけれど、ちょっと違うんだよなあ。

 

……ああ、そうか。分かりました。この一家は、ただただ“謙虚”なんだ!神の前で。

人間が万能だなんて思ってない。だから、農家には他と比べればまだ食料もあるから、分け与える(自分たちの分も保証されないかもしれないのに)。神に”生かされてる”と思っているから、保身に走らない。

 

ユダヤ人一家の赤ちゃんの引き取りをめぐって、色々あったときに、彼らは私にとっては意外な言葉をつぶやくんです。それは、“子どもは誰のものでもない”ということ。“子どもはみんなのもの”、だからみんなで育てよう、みたいなのはよく聞くのですが、誰のものでもない、って響きました。ああ、そうだった。子どもは神さまからの“預かりもの”だった。誰かが所有するものじゃない。例え、その誰かが支えるみんなであっても。神の前で謙虚だから、“私が!”ってならないんだなあ。時がくれば執着せずに手放せる。謙虚って、弱いイメージがあるかもしれないけれど、実は勇気のいるすごいことなんじゃないかと今回思わされました。神の前で謙虚な人は、弱いどころか強いのかもしれない。謙虚さって、強さだったのか。私にとって、今回それは発見でした。

 

最後には戦争は終わり、ノーチェたちはまた元のような生活に戻っていくので、ハッピーエンド。なわけなのですが、なんだかなあと複雑な思い。農場での生活が、あまりにも人間らしく過ごせていたから。ノーチェの心は農場にあったから。都会と田舎。田舎を手放しに礼賛するわけじゃないけれど、人間らしい暮しって……と最後に考えさせられました。

 

じんわり胸に迫りくるものがある物語。ああ、この物語に出合えて本当によかった。

とっても素晴らしい物語ですので、戦争もの敬遠せずに、ぜひぜひ!