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今日の一冊は、心が苦しくなる内容だけれど、それでも読めてよかったと思えたコチラ。自分は基本性善説なのですが、それでも“悪”ってねえ……あるんですよね、残念ながら。
《『その年、わたしは嘘をおぼえた』あらすじ》
戦争で世界中が大混乱だった1943年、11歳の少女アナベルは、家族と共に「オオカミ谷」と呼ばれる農場で静かな暮らしを送っていた。そこへ、ある日「矯正不可能」という理由で祖父母のところに送り込まれた少女ベティがあらわれた。アナベルを影で徹底的にイジメるベティだったが、それをオオカミ谷近くに住み着いた放浪者トビーに見られ……。
2017年ニューベリー賞オナー受賞作品。
最初に言っておくと、児童文学にしては珍しくハッピーエンドではありません。
かといって、バッドエンドというのともちょっと違う感じがするんですよねえ。
人間の嫌なところも、きちんと向き合うようにしてくれる、自分ならどうした?そう問い続けさせてくれる、そんな物語。
ただ、まだ人間の汚い部分を知らない子、嘘に関わらなくてもよい子だったら、個人的にはまだ読まなくていいと思います。世の中きれいごとだけじゃない、と気づき始めた子に差し出したい。
悪はある。そのときはベストだと思ってした行動が、避けたかった結末をかえって招いてしまった、でもどうすればよかった???
こちらの物語も思い出しました↓
徹底したベティの悪さには当然ゾッとするのですが、それ以上に個人的にこわかったのは、周りの人たち。自分がベティになることは想像できないけれど、間接的に間違ったことに加担する人間になることは想像できたから。
戦争や天災など極限状態が何も起きなかったら、いい人で終わってた人々が、いとも簡単に差別や偏見に加担していく……コロナ禍と重なるところがあります。
いや、時代的に平和でもね、個人が平和じゃなかったら陰湿なイジメはやっぱり起こるわけで。そして、そのイジメ側の開き直り具合というか、ここまで良心の呵責というものがないのか!と驚くのですが、これぞ、まさに先日の『14歳からの社会学』の中で紹介されていた脱社会的存在なんだと思います。↓
主人公のアナベルをイジメるベティは、そりゃあもう恐ろしくなるほど悪人で。彼女の身に悪いことが起こったとき、思わず自業自得!とスッキリしてしまいそうになるくらいでした。
でもね、忘れちゃいけない。書かれていないけれど、ベティはおそらく幼い頃から被害者だったであろうということを。「矯正不可能」というレッテルを貼られる。あそこまで冷たい人間になれるのは、愛情を注がれなかったからだと想像できるのです。
ベティがああなってしまった背景には、きっと、救えたのに彼女に手を差し伸べなかった大人たちの責任があると思うのです。善悪二元論とはちょっと違う。
もし、ベティを批判したくなったら、その前にぜひ読んでもらいたいものがあるので、ご紹介しますね。凶悪犯の子たちの印象が変わります↓
また、濡れ衣を着せられてしまう放浪者トビーなのですが、彼は簡単にいうと戦争で精神をおかしくしてしまった心優しい人間。こういう元兵士たくさんいたことは、想像にかたくない。心優しいのに、殺さなきゃいけないんですもの、おかしくなります。一体、どんな過去が彼をああしてしまったのか。ヒントは書かれますが、詳細は書かれず、読者の想像力にゆだねられる。国にとっての英雄って、一体なんなんでしょうね……。
昔、大好きだったこちらの映画に出てくる森の中の放浪者ジョニー・Bと重なります。私の中では、トビーは完全にジョニー・B。よかったら、こちらもぜひ↓
救いがないようにも思える『その年、わたしは嘘をおぼえた』なのですが、主人公の両親がとても素敵でした。ああ、こういう大人になりたい。自分はなれるだろうか?と問いかけをくれる物語で、これまた忘れられない一冊となりました。