Pocket Garden ~今日の一冊~

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つらい現実にどう向き合うか

『川かますの夏』(2007年)ユッタ・リヒター作 古川まり訳 主婦の友社

基本、毎週月曜日の19時~21時頃に投稿しています♪

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夏休みも終わりましたね!でも、暑さからいうと夏はまだまだ終わらない……。

というわけで、まだ夏の本紹介しちゃいます。

 

今日の一冊は、ドイツカソリック教会児童・青年文学賞受賞作。

薄い本です。地味かもしれません。でも、胸がきゅっとしめつけられるような、心に残る物語。少年少女が身近な人の死を通して、子どもでいられなくなってしまったひと夏の記録。

 

主人公のアンナとダニエル&ルーカス兄弟は、お城の敷地内(素敵!)に住んでいるということもあり、特別な絆で結ばれた幼なじみ。ある夏、ダニエルたちのお母さんが癌になってしまい、彼らがどうその現実に向かいあっていくのか、という物語です。

 

ツライ現実を直視したくない、向き合いたくない。それは、子どもでなく大人も一緒。特に生死に関することでは、男の人はすぐ逃げる、弱い人が多いなあってダニエルたちのお父さん見てるとつい感じちゃいます。男女関係ないと言われるかもしれないけれど、やっぱり命に関することは女の人が強い。

 

アンナは神様にどんなに祈っても両親の離婚を止められなかったことから、またダニエルとルーカスもどんなに祈っても母親の容態が一向に良くならないことから、もしかしたら、もしかしたら神さまはいないんじゃないか、って思い始めるんですね。そして、そう思ってしまった自分自身にぎょっとする。ここは、一神教信仰が身近でない日本人には理解しづらいかも。

 

ほう、この内容をドイツカソリック教会が推薦するのか、と興味深かったです。特にそのあとやっぱり神さまのお恵みが~とはならなかったので。だが、そこがいい。どんなに心をこめて祈ったって、祈りが届かないことがあるのが現実なんですものね。自分たちの力ではどうにもならない現実。流れる季節を止められないように、人間がコントロールできないのが生死含む自然の流れ。

 

神さまはもう信じられない、頼れないけど、でも何かにはすがりたい。そこで、ダニエル兄弟が思いついたのが、願掛けのようなもの。川かますを釣り上げたら、奇跡が起こって母さんは助かる!としたのです。ああ、分かるなあ。人には言ってないけれど、誰でもそんな感じの自分だけの願掛けしたことあるんじゃないでしょうか。その必死な思いが手に取るように伝わってきて、つらかったです。

 

また、この物語では狂おしほどに母を慕うアンナの気持ちも切ないです。アンナの母親はサバサバした人で、悪い人じゃないのだけれど、繊細なアンナの気持ちがどうも通じない。私自身も繊細なタイプではなく、どちらかというとアンナの母親タイプなので読んでいて、ドキッとさせられました。娘のためにはあまり時間はさかないけれど、ダニエルたちの母親の世話は献身的にし、ダニエルとルーカス(男の子)のためには、かいがいしく動いてアンナの理想の母になる母。アンナは複雑です。

 

でも、ちょっとアンナの母親の気持ちも分かるんだなあ。我が子には甘えがある、いつでもまた別の機会にかわいがれるから今は休ませてと思っちゃうから、つい雑になっちゃう。他人の子には丁寧に繊細に接することができるのは、多分期間限定だから。そんなアンナと母親の関係性も考えさせられるものがありました。

 

生死、向き合うこと、友情、親子関係とさまざまなテーマが盛り込まれているのですが、最後に一つ好きだった小さなエピソードを紹介させてください。

それは、アンナが友だちになりたくてたまらなかったクラスメートとアイスクリーム屋さんに行ったときのこと。結局、その子はただたんにアンナから噂話の真相を聞き出そうとしていただけの嫌な子だったのですが、それがそのアイスクリーム屋さんへの捉え方に出ていたんです。そのアイスクリーム屋さんはイタリア人の店主で、毎回イタリア語で注文を繰り返すんですね。それを聞くとアンナは、

 

“わたしたちの小さな村に、大きな広い世界が遊びにきてくれたような気分になって、どきどきした”

 

と思うんです。ところが、クラスメートは、ドイツに来て長いのにいまだにドイツ語がしゃべれないの!?と呆れる。同じものを前にして、この感じ方の違い。私は、断然アンナのほうと友だちになりたい。

 

ちょっとしたエピソードだけれど、こんな場面からも、自分の捉え方で世界の見え方は変わってくるよ、と言われた気がしました。

よかったら。