Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

まずは大人から知ってほしい

『パンに書かれた言葉』(2022年)朽木祥作 小学館

暑さのせい?ここのところ、キーボードがご機嫌ななめで使えたり使えなかったりだったのですが、ついに壊れてしまい、しばらくブログが書けませんでした。

 

お久しぶりです。みなさま夏楽しんでますか?もともと夏が苦手な私はぐったりしてますが、どうかみなさまは良い夏を過ごしていますように。

 

さて、今日の一冊は、児童文学仲間のTさんが「久々にしっかりした物語を読了しました」と書いていたのを見て、手に取った一冊。広島原爆の日に一気読みました。

 

主人公はイタリア人の母と広島出身の父を持つ中2の光・S・エレオノーラ。

東日本大震災後、毎日のようにテレビに映し出される光景をいやというほど観て、心が痛いのか痛くないのかわからなくなってしまう、無力感、無気力モードになってしまった光は、一人母の故郷である北イタリアのフリウリの田舎へ行くことになります。

そこで初めてノンナ(祖母)の若くして亡くなった兄や親友だったユダヤ人の少女サラの話を聞いて全然知らなかった歴史に衝撃を受けるのです。パルチザンホロコースト

 

重いです。重たい内容です。でもね、読み進められるのは異国情緒あふれる中で美味しそうな食べ物がたくさん出てきたり、楽しかった思い出も出てくるから。この重いテーマにも関わらず、ぐいぐい読ませるのは、さすが朽木祥さんだなあ、って思います。

書きたいこといっぱいあっただろうに、そぎ落とされて書かれています。

 

あとがきにもあったように、朽木さんご本人も「物語ることが先か、伝えることが先か」で毎回葛藤されているようですが、このくらい押さえて書いてくれたおかげで、逆にもっともっと北イタリアの歴史を知りたくなりました。

 

もっと知りたい。

そんなきっかけをくれるような物語です。

 

そして、イタリアの次は広島。

帰国後の夏休み、光は今度は父方の親戚のもと広島へ。いままであまり原爆体験を語りたがらなかったおじいちゃんでしたが、東日本大震災をきっかけに思うところがあったのか(つらくても伝えていかねばと思ったのか)、妹のまみちゃんの話をしてくれたのです。

                                              

こちらの話は、つらすぎた。もちろんホロコーストの話もつらかったのだけれど、ヒロシマに関しては昔見た映画や漫画『はだしのゲン』の生々しい映像が脳裏によみがえって、反射的に「ムリ!」って思ってしまう私がいます……。目をそむけっちゃいけない、分かってます。でも、きっと私がそれらに触れた時期(小学校低学年)が早すぎて、トラウマになってしまったのかも。

 

自分自身のこういう体験があるので、子どもたち(特に低学年)に戦争の悲惨さを“積極的に”伝えていくことに、私自身はちょっと慎重になっています。平和を伝えるのに、“悲惨さ”を伝えことは、子どもたちにとって果たして必要なのか、という思いがぬぐえなくて......。

 

知りたい!と子ども自らが思ったときに差し出せるこういう物語があることは、とっても大事なことだと思っています。でもでも、本当はそういうのを聞くべきは仕事や忙しさを言い訳に、見ないよう聞かないようにしている大人に対してなのでは?戦争を止められるのは、いま大人の人たちなんですもの。

大事な話だからこそ聞くべきは、まずは大人ではないかと思うのです。子どもたちに背負わせるには荷が重すぎる。

だから、この本もまずは大人におすすめしたい。

 

中学生以上には伝えていくこと、過去を知る機会があるのはとても大事。ただ、思春期は人間関係で一番苦しい時期。そんなときに聞かされても、恵まれてる恵まれてる言われても私のほうが辛い、誰も自分の気持ちを分かってくれない、と思ってる子もいっぱいいる気がして。

 

また、全てをひっくりかえしたくなる子どもたちは戦争に向かうとも言われているし、まず、子どもたちには圧倒的に幸せな体験をしてほしい。自分自身が平和で余裕がなければ、大きな平和を考える余裕なんてないのが現実かな、って思うんです。

 

物語の内容に戻ります。この物語では、イタリアと日本(ヒロシマ)、この二つが描かれることでもう一つ気になった点がありました。

それは、信念で動ける人々と同調圧力に流されてしまう人々の違い。残念ながら、日本は後者の傾向が強い。一方で、“言葉の力”を信じ、実態を知ってくれさえすれば人々が良心に従って行動してくれると信じていたレジスタンスのメンバーたち。だから、彼らは伝わりさえすればみな変わるはず、という希望をもち、命がけでビラをまき、貼っていったんだなあ。傍観者にはならない。ミュンヘンの大学生抵抗グループ〈白バラ〉のビラにあった言葉 が印象的でした。

 

“心にまとっている無関心という名のマントを破り捨てなさい”

 

考えさせられるものがありました。

 

出版社の紹介によると、この物語は「ヒロシマとイタリアをつなぐ〈記憶〉の旅」。

そう、教科書や文献などの〈記録〉からは見えづらい、当時生きた人々の〈記憶〉。それに触れるからこそ、心に響くものがありました。

まずは大人から読んでみませんか?