今日は、ちょっと徒然なるままに……(最後に児童文学の紹介もあります)。
先日ね、とある、大賞(大人の文学)を取った本を読み終えまして、ちょっと落ち込みました。あれだけ、みなさんが感動した!!!号泣でした!!!傑作!!!と言っているのに、私は一滴も涙が出ない……それどころか、うるっともしなかったんです。むしろ、色んなところに違和感さえ覚えてしまった。
批評するなんて、大それたことを、とも思うのですが、自分が感じた違和感は何か記しておきたいとも思ったのです。
この物語のコンセプトは、「声なき声に耳を傾ける」、というもの。その物語のコンセプト自体は好きだったし、この物語をきっかけにヤングケアラー(子どもが家族の介護をすること)、虐待、LGBTについて思いを馳せる人たちが出てくるという点では、とっても意義のある物語だと思いました。確かに、内容がセンセーショナルだからこそ(←いや、色んなテーマ盛り込みすぎだろとツッコみも入れたくなりましたが)、センチメンタルだからこそ、注目を浴びる面もありますしね。
じゃあ、どこに違和感を覚えたのか。本当に彼らのことを思ってたら、こういう表現はしないよな、とか、そういうところがいくつかあったんです。虐待やLGBTというテーマが、読者を感動させるために、持ち出された気がどうしてもしてしまって。ああ、ここで感動させたいんだな、ドラマ化狙ってるんだろうな、とか作者の意図が見えたとたん、冷めちゃったんです。続きが気になって、一気読みしましたが。
これが、ドラマか漫画なら素直に感動できたんだろうな。ドラマや漫画を決して、下に見ているわけではなくて、本とは役割が違うというか。ドラマや漫画ならキャラ設定がはっきりしてるのに違和感を覚えないのですが、それが文字で語る世界で行われると、私は違和感を覚えてしまうのです。人ってもっと複雑で、そんな単純にキャラ立ちとかするものじゃない。
もちろん、本は好みですから、どんな本でもいいと思うんです!
なのに、失望したのは、それが1位だったからというのもあるのかも。1位じゃなければ、うん、ありだよね、と思ったのかもしれない。名前伏せてるけど、もう何の本だからバレバレですよね(笑)。
その点、児童文学はものすごーーーーーく気を遣って書かれていると思います(マウンティングとってるわけじゃないけれど、こういう表現になってしまった)。もちろん駄作もたくさんあるとは思うのですが、j自国内での評価を経て、さらに海外にまで飛び立つ選び抜かれた翻訳文学は特に、そういうところが徹底している。実際にそういう思いをしている子たちが傷つかないように。彼らに失礼な表現がないように。
上記の大賞を取った物語は、色んなテーマがてんこ盛りでしたが、その中からヤングケアラーだけを取り上げるのなら、児童文学にはこんなものがありますので、過去記事からご紹介しますね。↓
児童文学はシンプルです。センセーショナルにもセンチメンタルにも書かないので、地味にうつるかもしれない。けれど、登場人物たちのの心に本当に寄り添ったものも読んでいきたい、手渡していきたいと改めて思ったのでした。