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今日の一冊は、いわゆる泣くような話ではないのに、個人的には涙なしには読めなかったコチラ。
子どもの習いごとのお迎えを待っている間、ベローチェでいつものコーヒーフロート(←お一人さま時間!しかも夜に飲む背徳感よ笑)飲みながら読んでいたんですけど、もうね、胸いっぱい。涙あふれてきちゃって、ああ、もう外で読まなきゃよかった!と後悔。
あれは、ある夏の日の終わりのことでした。
ご近所さんBBQを楽しんで、子どもの話になったとき、
「あのね!実家の母がくれた本でね、私、救われたの!!!」
と熱く語り出した一人のご近所さんが。それが、今日の一冊でした。
【『うちの弟、どうしたらいい?』あらすじ】
「弟をたのむわね」そう言い残して、ママはいなくなった。どうしてあたしなの?腹を立てながらも、12歳のアニーは、荒れだした弟が心配でたまらない。孤独な悩みを受けとめてくれたのは、弟の新しい担任の先生だった。信じられる人と出会って、アニーは少しずつ変わっていく。(BOOKデータベースより転載)
短いお話です。大人なら1時間ちょいで読めちゃうくらいの。でも、響いたなあ。
もうね、大人にこそ読んでほしい。
色んなこと思い出しちゃって、胸がいっぱいになりました。
【問題視するから問題児になる】
どうしらいい?と問題児扱いの弟。もう、やんちゃ男子あるある過ぎて、やんちゃ男子母としては、他人事とは思えない!ほほえましく思えることでも、問題視されちゃって、その子が問題児扱いされはじめ、本当に問題児になっていく......。
見てきた、見てきた、うちの子含め何人も。追い詰めていくのは、先生や親をはじめ周りの大人なんですよね。
男子って、お調子者で愛されキャラでも、行き過ぎて他の子に手が出てしまったり、破損するような行為もしちゃうから、そうするとそれは大人は注意せざるをえなくなるんですよね。特に他人から指摘されると。
うちもね、駅前のガチャガチャを3回ほど壊しまして、ええ。100円じゃないコインを入れても出るかなー、って純粋に思って入れちゃったみたいなんですけど、それを笑えない大人が多いし、親が笑ってたらそれこそ白い目で見られちゃうから、あやまりっぱなしなわけです。特に、女子母の目がキツかったなあ(←男子母あるある)。
そういうことが重なるとね、育ててる者って、責任感じて追い詰められていくんですよね。このまま放っておいたらこの子はどうなっちゃうの?って。
うちの場合、三男は愛されキャラなこともあり、三男のやんちゃはまだ笑ってくれる周りも多かったのですが、それこそ長男のときはTHE☆子育て暗黒期で。外でいい子、家で暴れまくって手に負えない長男を目の前に、当時は途方にくれてました。このままじゃこの子、少年院行きとかになっちゃう、と思ったことも何度も。だから、この物語の12歳のアニーの焦る気持ちが痛いほど分かって。12歳でこれ背負っちゃうんだ……って、そこも痛くて。
(我が家の暗黒期が知りたい方は、こちらをどうぞ笑↓)
ところで、この姉弟は祖母に育てられているのですが、この祖母が厳格なわけです。育児放棄とも虐待とも違うけれど、子どもに寄り添うことをしない。昔なので折檻も普通にする。こう書くと悪者に見えるかもしれないけれど、きちんとしているゆえの対応、案外どこにでもいる普通にいる大人かもしれない。特に父親に多い気がする......。ん?これって男性差別?性別というか父性が強い人(私もそう)。
【まるごと受け入れられることで変わり始める】
そんな問題児扱いされてる弟でしたが、ある日担任の先生が変わります。
家に帰ってくるなり、「先生が代わったんだ」と報告する弟。他の先生と違い、今度の先生は、いつまでたっても弟の問題行動を手紙に書いてよこさないんですね。そんな新担任のスト―バー先生にアニーはこっそり相談しに行くことにするんです。
でね、そのとき先生から「こっちにいらっしゃい」と腕を引き寄せられるのですが、アニーは先生に腕を引き寄せられただけで、なぜ弟のスティーヴィーが、わざわざ「先生が代わったんだ」って教えてくれたのか悟るんですね。それだけで、「あなたのことが好きよ」っていう先生の気持ちが伝わってきたんです。
ここで、私泣きました。
この出会いがいかに大きいかが身に染みて分かるから。
子どもって、瞬時で大人を見抜くんですよね。
THE☆子育て暗黒期に長男から一番やられていて、腐ってしまったのが次男(当時小2)だったのですが、そんな次男を救ってくれたのもやっぱりそういう先生だったんです。次男をかばうと、余計に長男が荒れるので、親だけじゃねどうにもできないことって、やっぱりあるんです。
問題視するんじゃなくて、まずすべてを肯定して受け入れてくれる存在がある。
人ってこれで変われるんですよね。
そんなの、ありとあらゆる育児書に答えのように書いてあります。でも、それ読んでも自分の中に落とし込むことはなかなかできない。だから、私たちには”物語”が必要なんですよね。アニー、スティーヴィー、スト―バー先生という存在が心の中に住んで初めて、ストンと納得がいくんだなあ。
【周りにできることは忘れさせること】
ところが、そんな理解して受け入れてくれるスト―バー先生が、家庭の事情で田舎は帰ってしまうと、スティーヴィーはまた荒れ始めるのです。
いかに、子どもにとってそういう存在がいることが大事な時期であるか。その子の問題というより、周りが変わるの、先に。「みんなの学校」も思い出しました↓
さあ、ここから冒険が始まります!
スト―バー先生と、弟が大好きだった先生の犬スキッパーに会えば、きっと弟は落ち着くはず!そんな一途な思いで、アニーは遠くに住む先生に会いに行く計画を立てるのです。
詳細は書きませんが、そこで、明らかになった先生の生い立ちにも涙。私の周りにもいるし、自分もそういう子と多少なりともかかわってきたから。先生の田舎で、先生のお母さんとの出会いもまた大きなものでした。
スティーヴィーがああなってしまうのは自分のせいだと考える必要なないのよ、と優しく教えてくれる先生のお母さん。そのお母さんの言葉が響きます。
「それに、はじめっから悪い子なんていないの。ただその子に、そうなってしまうようなことが起きてしまっただけ。起きてしまったことは、だれにも変えられない。だから、せめてわたしたちにできることは、それをわすれさせること。そして、どうやって生きていくかを教えてあげることなのよ」(P.120-121)
その子を矯正するんじゃない。忘れさせるために、その子の好きを、夢中になれるものをのばしてあげること。それも育児書にも書いてある。でも、私たちはスティーヴィーを見て、はじめてそれを実感できる。
ところで、アニーのように子どもながらに責任感じて背負ってしまう子って、実は結構います。翻訳されたのは、2019年と最近なのですが、原書は1967年出版と私が生まれるより前のもの。この時代から、悩みって変わってないんだなあ、って。
私たち大人はしっかりしないと!問題視して矯正しようとするんじゃなく、まずはまるごと受け入れること。社会的な正しさで判断するより先に、子どもに寄り添うこと。
そんな大事なことをつい忘れがちだから、大人にこそ読んでほしいのです。
寄り添い方を教えてくれる、そんな物語でした。