今日の一冊はこちら。
正しいことをしたはずなのに、どうしてこんな目に?一体どうすればよかったというの?理不尽さに、胸がしめつけられるような物語ですが、最後には希望の光が一筋見えます。
鈴木出版の海外児童文学、この地球に生きる子どもたちシリーズは、考えさせられるものが多くて大好き!さくゆみこさんの翻訳されるものにもハズレなしです。
『わたしは、わたし』あらすじ
トスウィア(12歳)は、年子の姉キャメロンと優しくて誠実な警察官の父、料理上手で生徒たちみなから慕われている教師の母と、穏やかで幸せな日々を暮らしていた。ある事件が起こるまでは。
ある日起こった白人警察官による無実の黒人少年射殺事件。警察官の父が、悩んだあげく同僚の罪を証言したため、トスウィアの一家は突然全てを奪われることになる。裁判で重大な発言をした者が、危害を加えられたり殺されたりしないように保護する制度「証人保護プログラム」によって、一家の安全は守られるのだが、それはつまり、名前、故郷、過去全てを奪われることを意味していた。アイデンティティをすべて失った家族の喪失と再生の物語。
実話ではありませんが、残念ながら似たような事件がアメリカ各地で起こっています。やるせない!
■極限状態で問われる人間性
恐怖は人をおかしくさせる。
ただ、黒人というだけで、無抵抗なのに襲われると思い込み、発砲してしまう警官たち。
何とも言えない気持ちになるのは、この警官たちも普段は人種差別者どころか、人種を超えて楽しい仲間だったからなんですね。極限状態に陥ったとき、人は人間性を問われるんですよね。戦争なんかも当てはまります。いままで友人だった人たちが敵になる。
さらに、何とも言えない気持ちになるのは、同僚たちの夢や誇り(=未来)を奪うことになるんだぞ、と同僚の警部が説得に来るところ。一瞬(一瞬ですけどね)確かにと思ってしまった自分がいてゾッとしたんです。無意識下で、黒人の人生よりも白人の人生のほうが大事だとでも思っているのか!?
何もないときは友情が育まれるんです。でも、保身に走るとき、白人の命のほうが黒人の命よりも重い、と無意識下思って入る人々が露呈してしまう......。
あからさまな人種差別者はバカで無知なんだなと思えるけれど、普段善人だと思って入る人々の無意識の差別は本当にキツイ。自分が留学していたときのことも思い出しました。本当にキツかったのは後者のほうでした。
■それでも前進する
偽名で新天地で暮らし始めるトスウィア家族には試練が待ち受けています。エホバの証人にハマる母。警察以外の仕事は考えられず、追い詰められていく父。それでも、現状を抜け出そうと自分で自分の道を切り開く姉と妹。
子どもはスゴイです!
もうね、受け入れるしかないんですよね。
なぜあの時あの場に父さんはいてしまったのだろう......。それに尽きるのですが、もう現状を受け入れるしかない。受け入れなければ、前進もできないのです。
この重いテーマの物語は、私はまず大人に読んでもらいたいなと思いました。
その理由は、前回も書いたように、今が満たされていない子どもには受け留める余裕はないと感じるから。↓
ましてや、世界にはもっとひどい目にあってる子がいるんだから、あなたもがんばれ!なんて、メッセージを送りたい大人の下心を感じたら、子どもたちはそっぽを向くんじゃないかな。
だから、子どもがふとした興味を持ったとき、すっと差し出せるようにしたい。
勇気をもらえる物語です。