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今日の一冊は韓国系アメリカ人2世の作者が書いたコチラ。
韓国系アメリカ人の少女がアイデンティティに悩むお話なのですが、これが何とも言えず爽やかでいい!
【『ジュリアが糸をつむいだ日』あらすじ】
7年生のジュリアは韓国系アメリカ人。子どものころカイコを飼ったことがあるという母さんの提案で、親友のパトリックといっしょに、カイコを育てて生糸をとる自由研究をすることになります。「韓国っぽいから」と研究に乗り気でなかったジュリアも、飼ううちにだんだんカイコがかわいくなってきますが…? カイコの飼育をきっかけに、アイデンティティの悩みに向き合うことになる少女の思いを丁寧に描きます。前向きで明るくさわやかな読み物。(出版社HPより転載)
著者のリンダ・スー・パークさんは、12世紀後半の韓国、青磁の村の職人を描いた『モギ 小さな焼きもの師』という物語でニューベリー賞も受賞しています。これがねえ、とーーーーってもいい!とても感動して、ブログに書いたかと思って探してみたのですが、書いていませんでした。モギもあわせて、ぜひ!↓
■無知は罪!
さて、全体的にはとっても軽やかで爽やかな物語なのですが、人種差別やアイデンティティについても考えさせてくれる、なかなかの物語ですよ、これは。それが重くなく、さらりと書かれているところがいい!
留学していた人は共感するところが多いかも。
私自身に関していえば、留学するまでは特に自分のアイデンティティについて考えることもありませんでした。なに小難しく考えちゃってるの?くらいな感覚でした。
ところが、留学中、自分がAsian(アジア人)としてカテゴライズされたことが、軽く衝撃だったんですね。日本は先進国という分類であって、自分がアジア人という感覚がなかったから。そして、そういう感覚がなかったという自分に衝撃を受けたんです。
トンガの留学生からは「日本って中国のどこにあるの?」って聞かれました。
ジュリアがカイコの葉を提供してくれるディクソンさんに、韓国人と中国人を悪気なく間違えられたショック、分かるなあ。
そんなこともあり、移民の自分たちもアメリカ人でいいのかゆらぐジュリアでしたが、その自分の母親が黒人であるディクソンさんに対して少し差別意識を持っているように感じて、ジュリアはショックを受けるんですね。あからさまでないだけに、余計に母親に本心を聞けない。
母さんは、たぶん自分では、人種差別主義者だなんて思っていないと思う。だから、答えはなんとなく想像できる。
―もちろん人種差別主義者じゃないし、肌の色に関係なく、世の中にはいい人も悪い人もいるわ。このごろはなにがあるかわからないし、とくに知らない人は危ないかもしれないから気をつけてって。
だいたいは正しいとは思う。でも、出会って知りあいになるまでは、だれだって知らない人どうしなんじゃない?
ひょっとすると、わたしはにげてるのかも。母さんに面とむかってたずねる勇気がないのは、万が一ほんとうに人種差別主義者だったら、どうすればいいのか、わからないからなのかもしれない。(P.138)
もう、ジュリアぁぁぁぁ。なんて、冷静で公平なんでしょう。すごい、この子。
そして、ジュリアはなぜ自分がディクソンさんに中国人に間違えられたことが、そんなにもショックだったのかを考えます。そこで至った結論。黒人で、たぶん人種差別の経験をたくさんしてきたディクソンさんなら、そんな間違いはしないだろうと決めつけていたことに気づくのです。相手のことを悪く思っているかどうかが問題なんじゃなく、「知らない」ってことが問題なんだ、と。そして、自分が知らないってことをわかっていない、気にしていないから知ろうという努力もしないーそのことが、問題なんだ、と。
うんうん。私ね、留学中にとあるリスペクトしていた友人から“無知は罪だ”って言われたんです。強烈だったなあ。
そのとき、無知は恥ずかしいことではあるけど、罪は言い過ぎじゃない?って心の中で反発しました。でも、無知ゆえに人を傷つけるのなら、やっぱり罪なのかと思い始めました......。
ところが!!!
■知らないほうが差別はなくなる!?
最近こんなnoteを目にしたのです↓
私、同和教育なるものを全然受けていなくて、ほとんど知りませんでした。これまた留学中に、そのことをマレーシアの友人から聞かれ、何も答えられなかった自分を恥ずかしく思った思い出が。一方で、京都から留学していた別の日本人の子は、同和地区が近くにあったということで、普通に授業であったよ、とも。
また、留学生グループの中に在日韓国人の子がいたのですが、その子が韓国人の子のグループから呼ばれて、不憫がられ、いかにかわいそうな境遇かを教え込まれてて、何か違うとも感じました。だって、その子自身は別に不幸でもなんでもなかったから。そして、ちょっとイラつきもしました。なんで、過去のことを、差別もしてない無関係な私たちに、日本人というだけで背負わせるのか、と。
歴史を知ることは大事。同じ過ちを繰り返さないために知ることは大事。
でも、上記のnoteを読んで、また私は分からなくなってしまったのです。
小学生の頃、今思えば在日韓国人の仲良しの友だちがいました。が、何も知らない私は彼女が家でお母さんのことを「オモニ(韓国語でお母さん)」と呼ぶのを純粋にかっこいいと思ってました。異文化体験が楽しくてたまらなかった。
また、留学中も仲良しの移民韓国人の子がいて、おうちにも泊まらせていただいたりしたけど、日本人がしたことに無知だったがゆえに、罪悪感もおぼえず純粋に交流し、韓国ご飯のおいしさに感動できました。ご飯、めちゃめちゃ美味しかったなあ!(←大事なことなので2回言う笑)
知らないほうが、ありのままに目の前の人を受け止められる、こと“も”ある。
上記のnoteを読んで、もはや、何がいいのかワカラナイ状態ですが、大事なのは、”問い続ける”ことなんだと思います。
■苦手なものも興味深くなる物語の力!
なんて、ちょっと話が重くなってしまいましたが、この物語のもう一つの魅力は、カイコ飼育の面白さを知れること!
実は私、子どもたちがカイコを連れ帰ってもまともに見れないくらい苦手。1ミリもかわいいと思えなかった私でしたが、文章で読むとかわいく思えてくるから、物語の力ってすごい!(『シャーロットのおくりもの』読んだときも同じでした)
カイコ飼育って、こんなにも魅力的だったんですねえ。
ところが、実はジュリアは韓国っぽいと理由でカイコ飼育に乗り気じゃなかったし、親友のパトリックにも秘密が……。
紆余曲折を経て、カイコ飼育に成功した二人でしたが、カイコから絹糸を取るためにはカイコごと煮てしまわなければならないことを知り、嫌がるジュリア。きれいごとではなく、自分ごととして命の重み、他の命をいただくことについて考えさせてくれる物語でもあります。でも、お説教くさくないところがいい!
はあ、留学から20年以上たっても、児童文学を通じてまた問い続けさせられるとは。
『モギ 小さな焼きもの師』とあわせてぜひ。