司書さんや図書ボランティアに携わっている人じゃなければ、ブックガイドなんかはあまり読まないかもしれません。
でも、コチラはおすすめ!
≪この本のポイント≫
◆ 2000年以降に刊行された子どもの本・約5万冊から厳選した最新版
◆ 対象年齢・読みどころが、子どもの本のプロにより、しっかり紹介
◆ ブックトークに役立つよう、キーワードをたくさん掲載するなど工夫満載
◆ 本の舞台となった地域MAPや舞台となった時代年表・索引が資料として添付
とポイントは色々あるのですが、一番大きいのは「正しさの押しつけになっていない」という点です。
さて、驚くほどトップニュースに出てこないのですが、本日8月6日は何の日か。
我が家にはテレビがないので、ネットが主なのですが、出てこないんです……ヒロシマ原爆の日である今日のニュースが。
吉本やジャニーズの内部事情なんてどうでもいいんだけどなあ……。
うちの父は広島出身なので、テレビつけてもNHKくらいしかやってない!年々忘れられていく!と憤っていました。
そんな我が家ですが、子どもに戦争の本当の姿を伝えるのは実に難しい。先日、中2長男にこんなことを言われました。
「僕ね、戦争映画は好きなんだ~。カッコイイし、敵が殺される場面見るとスッキリするんだあ!」
…え!?衝撃。
でもね、無邪気にそう語る長男を前に、黙り込んでしまう私です。
「いやいや!!!」と言いたくなるけど、グッと言葉を飲み込む。
ここで否定しはじめたら、長男はきっともう私に自分の素直な気持ちを話してくれなくなるでしょう。
以前書いた記事、私の兄がメンフィスベルを見たときに私に問いかけてくれたようなことを長男にも言いたい。↓
でも、今の長男はまだ自分が否定されたとしか受け止めないだろうなあ。まだ、ね。
思うのですが、他人への想像力を持てる子って、自己肯定感が高くて、余裕のある子なんじゃないかな、と。もちろん一般化しちゃいけないのかもしれないけれど、自分の子を見ていてそう思うのです。
以前とっても自己肯定感の低かった長男(今はいい感じに回復途中)、他人のことを思いやる余裕なんてありませんでした。自分のことでいっぱいいっぱい。
まずは自分が満たされなければ、他人を思いやる余裕がないことを分かってなかった当時の私は、それが悲しかった。私自身は満たされて育ってきていたので、長男の気持ちがぜーんぜん分からなかったんですね(←他人への想像力ないじゃん、とツッコミ)。長男が荒れに荒れまくって、色んなことを教えてくれて今に至ります。
長男にとって、戦争映画は分かりやすい成長物語、サクセスストーリーにうつるのでしょう。分かりやすい友情や家族愛、祖国愛、感動が描かれていますから。
でも、児童文学の戦争文学を読むと、ニュースや教科書からは見えてこない人々の思いが浮き彫りになる。
勝利に見えても真の幸せには結びつかなかったり、戦争の終わり=平和の訪れ、ではないことが分かります。人々の心は何年も何年も暗い影を落とし続ける。敵を殺すことは、スッキリすることではないことが分かる。
いかに一般の人たちにとっては、不条理なことだったかが分かる。戦争とは愚かなことだと分かる。
児童文学者&翻訳者の清水真砂子さんやさくまゆみこさんがおっしゃっていました。退屈する子どもにとっては、戦争はエンターテイメントになる、って。いまが満たされていないとひっくり返したくなるのが人間だから、それは戦争につながるんですよ、と。
だから、一見何悠長なことやってるんだと思われるかもしれないけれど、子どもたちの今を満たしてあげること、幸せだなあ、この日々を守りたいと思う日々を過ごさせてあげること、それが平和への道なんですよね。
無力感やあきらめの気持ちが強くなると、思考が停止し、ただ上(国)の意見に従うほうが楽になっていく。
大人ができることは、「これが正しいんだよ」と教えるというよりも、その子が満たされた日々を過ごし、自分で判断できる力、感性を養う手助けをすることなんだなあ。根っこの部分。
先ず“生きる喜びを”。