Pocket Garden ~今日の一冊~

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自分自身を発見する

『カッコーの歌』(2019年)フランシス・ハーディング著 児玉敦子訳 東京創元社

 

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同じ著者の『嘘の木』があまりにも面白かったので、続けてコチラも。期待裏切らず、良作。巻末の深緑野分さんの解説がこれまた良いのですー。

 

うーむ。唸ってしまいました。

途中まで、ファンタジーということをすっかり忘れていて、物語の世界に入り込んでしまった。そのくらい心理的にリアリティがあるんです。以前、臓器移植を受けた人が前の持ち主の記憶をもってしまうことがあるという話を聞いたことがあるのですが、そういうことってあるのかも。うん、人間の身体がただの入れ物だったとしたら、記憶などをインストールすれば他の入れ物でも、本質になってしまうのでは?入れ物である自分は、他人の記憶をもってでも本物になれる???自分が偽物側だったら?自分って一体なんだ???

 

これは読む人によって、色んな響き方がある物語だなあ。響くポイントが一つのテーマじゃないから、感じるものがありすぎるから、大好きなのに、どうにもこうにも感想が書きにくい(笑)。

 

単純に冒険ストーリーとしても面白いんです。「あと7日(何が?)」というタイムリミットもあるから、ドキドキの緊迫感もすごい。自分自身の発見の物語でもあり、姉妹がいる人にとっては、姉妹間の葛藤が共感できるだろうし、一見常識良識ある理想的な家族なように見えて、実は毒親の元にある娘の人生に共感する人もいるかもしれない。個人的には、この毒親像を見てこれ国にも当てはまるな、なんて思いも。不安にさせて、実はコントロールしやすくして、子ども(国民)を守られた気にさせる。こういうのって、実は意外に身近にあるのかもね、と。

 

ところで、9歳の妹のペンは気性が荒く、一見破天荒でレビューを読むと感情移入できない人が多いようですが、私はこの子が一番好きなんですよね。一番人間らしくて、違和感のあるものにちゃんと抗っていて。ただ、表現するすべを持たないから、ああいう形で噴出するだけであって、この子が実は一番まともなんじゃないかな、って。

 

もう一つ、この物語で興味深かったのは、疎外されている人々への何ともいえない思いです。疎外されてる側が、悪者側として描かれてはいるのですが、実は主人公は疎外側に属していて。でも、自分の意志的には違うほうに属しているから、葛藤。その、視点が面白い。白か黒か、善悪二元論なんかで割り切れないんです。

 

解説にあった、ハーディング自身のインタビューが興味深いです↓

 

私は不正を好みませんが、誰かが他者を不公平に扱おうとする心理に興味があり、アイデンティティの謎にも関心があります。/私は何かが間違っていることを見た時、ただ否定するよりも、それを理解したいと思っています。中に入ってみたいのです(P.444)

 

なるほどね。モズをはじめとする“はぐれもの(ビサイダ―)”は、人間側から見ると恐ろしく排除すべき対象。でも、いずれもかけがえのない、命あるものたち。ビサイダー側からの視点で描いても、人間側からの視点で描いてもこの物語は成り立たない。ビサイダ―側に属しつつも、人間側の心情を持つ主人公の視点だからこそ成立する、深みのある物語だったんです。

 

感想を書くのが難しい(?)ファンタジーですが、きっと誰しも響くポイントがある物語だと思います。ぜひ。