Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

児童文学って例えるなら......

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石井桃子のことば』(2014年)中川李枝子、松井直、松岡享子、若菜晃子ほか 新潮社

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前回、絵本VS児童文学ということで書いたのですが、そもそも児童文学ってなんなんでしょうね?

 

先日、とある少年たちの夏の日々を描いた物語を読み始めたんです。日本版スタンドバイミーとか言われていたもの。ところが、児童文学に慣れていた私は途中でギブアップ。最後まで読めなかったんです。

 

なぜだろう。

考えました。

 

何を良質かとするかは人次第だとは思うのですが、ロングセラーだったり、自分が好きな児童文学には一つの特徴があることに気づきました。

 

それは、淡々と描かれてること

 

意外なほどあっさりしてる。変にドラマチックに盛り立てていない。

 

映画で例えるなら、ハリウッド系ではなく、単館上映系(伝わるかなー笑)。

 

食事で例えるなら、飾り立てたフレンチやイタリアンなどの美食ではなく、一汁一菜の粗食系(これまた伝わるかなー笑)。

 

フレンチやイタリアンはたまになら大好きなのですが、毎日だと飽きるんですよね。胃もたれしちゃう。毎日食べても飽きなくて、しっかりと身体にとって栄養になるのは見栄えはいまいちな粗食の方。児童文学って、そういう感じなのかな、って。子どもでも分かるように書かれているから、難しい表現や「おお、この表現はスバラシイ」といった技術的に目を見張るものも出てきません。

 

ちなみに、お菓子に例えるなら(←しつこい笑?)、ジャンクフードや大衆菓子ではなく、マクロビ系のお菓子。

 

子どもたちに大ウケし、売れに売れてるジャンルやライトノベルは、それなりに美味しいし、友だちと一緒に食べると(←ココ大事)楽しくておいしい。でも、食べ続けていると舌が鈍っちゃいますよね。舌が鈍ると、マクロビ系のお菓子食べたとき「まずっ」ってなるんですよねえ(笑)。噛みしめると味が出てくるのに。

 

思い返すと、その読めなかった本は、「大人の目から見た理想の子ども時代」が描かれていたんですよね。「子どもの目から見た子ども時代」ではなく。だから、ちょっとクサくなりがちで、表現も大げさだったり華美だったり、ここで感動させてやろう感が伝わってきちゃって読めなかったんです。

 

心の栄養になるような児童文学は、地味だし、読んだ後すぐには良さが分からないものも多いかもしれません。大人が見たい「ウケた」という反応は見られないかも。でも、心の片隅に種がまかれてジワジワと育っていく感覚なんですよね。

 

ベストセラー作家に、編集者が「次は子どもの本はどうですか?」と聞くと、「とんでもない!ごまかしが効かないからこわくて書けないです」っていう返事が返ってくるそうです。

 

そう、大人の文学は「おおっ」という表現で逆にごまましが効いちゃうんですね。子ども向けのものでも、ごまかしが効くものも(=子どもだまし)もちろんありますが、それは“児童文学”ではなく、“児童書”になるんでしょう。

 

最後に石井桃子さんの言葉をご紹介。

 

さて、この九年間、子どもたちが本を読んで喜んだり、喜ばなかったりするところを見て考えさせられたことは、

 

子どもが読んでもおもしろく、おとなにも―ただし、このおとなは、心を開いた、しなびていないおとなでなければならない―おもしろい のは、児童文学と言っていいらしく、

 

子どもだけがおもしろがって、おとなにはおもしろくないのは、ちょっと警戒してよく―これは、文学でない場合がしばしばあるから―

 

おとなにはおもしろくて、子どもにおもしろくないのは、文学かもしれないが、 児童文学ではないだろうということだった。

 

石井桃子のことば』新潮社より

 

 このブログでは、地味だけれど、栄養になりそうな物語を紹介していきたいなあ、って思っています。