人ってこんなにも簡単に変われてしまうんだ......今日の一冊は、人はいかに簡単に加害者へと変貌できるかという恐ろしさを教えてくれる物語。
戦争ものは苦手で、正直、できるのなら読みたくない気持ちのほうが強い。
ましてや、ヒトラーなんて触れたくもない。でもね、読んでよかったと思うのです。
心優しかった少年が、ヒトラーに憧れ、冷酷になっていく様子はゾッとします。なぜなら、自分自身、誰にでも起こりうると感じるから。だからこそ読んだほうがよいです、これ。
表紙絵はとても美しい風景。この美しい環境、穏やかな生活の中にいても人は残酷になれてしまうんですね。
『ヒトラーと暮した少年』あらすじ
衝撃のラストが話題となり、映画もヒットした『縞模様のパジャマの少年』の原作者ジョン・ボインの作品です。
ドイツ人の父とフランス人の母との間に生まれた少年ピエロは、パリで暮らしていましたが、相次いで両親を亡くします。ピエロは、住み込みの家政婦をしている叔母のベアトリクスに引き取られることになりました。そして、なんとベアトリクスの勤め先はベルクホーフ、つまりヒトラーの山荘だったのです。
7歳の少年ピエロは、期せずして総統閣下と寝食を共にすることになります。
そして、ヒトラーにかわいがられたピエロは、その強いリーダーシップに憧れていたせいか、性格がみるみる変わっていきます。
『縞模様のパジャマの少年』の姉妹編ともいえる本書は、前作と同じように無垢な少年が主人公で、その純粋さゆえ、時代にはげしく翻弄されます。
ピエロがまわりの影響によって変わっていく姿には背筋が凍るものがあり、人間とはこんなに残忍になれる生きものなのかと読み進めるのがつらくなりますが、ラストに希望の光が感じられるのが、前作と大きく異なるところだと思います。
フィクションながら、歴史的事実に基づくことで、よりリアルに「人として、いかに生きるべきか」を考えさせてくれる稀有な物語です。(出版社HPより転載)
心優しく純粋無垢だったピエロがヒトラーに惹かれるのには、理由があるのです。
それは、ピエロの亡き父を思い出させたから。ヒトラーに認められると父親に認められたような気分になるのです。身近にいたら、ヒトラーのカリスマ性、リーダーシップに憧れを抱くのも不思議じゃないのかも。
その亡き父親が戦争の後遺症で苦しんでいる様子はとても印象的でした。そもそもこの物語、こういう一文で始まるんです。
ピエロ・フィッシャーの父親は第一次大戦で戦死したわけではなかったが、母親のエミリーはいつも、夫はあの戦争に殺された、と言ってきかなかった。(P.6)
戦争中って、自分の中のいろんな感覚や感情を押し殺していく(=人間性を失っていく)んですよね。それが、元に戻ってきたとき自分のしてきたこと、見てきた光景がとたんに受け入れられなくなっていく。そして、精神を病んでしまう......
ピエロがヒトラーに憧れたのは、もっと認められたい、という彼の成長願望の時期とも重なってしまったことも大きかった。その願望をかなえてくれる象徴ともいえるものが、ヒトラー・ユーゲントの制服だったんですよね。まるで自分が何者かにでもなったかのような気分になれる。
「人は制服を着ると、ふだん着じゃ絶対にしないような態度でまわりの人たちをあつかえるんだ。襟章、トレンチコート、革の長靴......制服を身につけると、罪の意識などなしに残酷なことができるようになる」(P104-105)
これは、この異常な状況のさなかにも正気を保っていられた運転手エルンストの言葉。
決して戦時中という異常な状況だから仕方ない、という話ではない。現代に置き換えると、例えば、スクールカーストの最上位にいる人に認められたいという気持ちから、気付けばイジメの加害者になってるなんてことは?
会社でこんな人にはなりたくないと思いつつも、この人に睨まれたらやりにくい、と気付けばその上司に気に入られるように行動したりしてることなんてことは?
制服ではないけれど、肩書を与えられてまるで自分が偉いと勘違いしてふるまうなんてことは?
コワイ。
怖いです。自分はそうならないとは決して言えないから。
そんな中でも、運転手のエルンスト、ピエロのおばやクラスメートのカタリーナなど、ヒトラーがおかしいと思えた正気の人たちもいた。この人たち、すごい!!!
果たして自分はどちら側になるのだろう、と問いかけられます。
時々こういう物語を読むのは大事。そして、自分の中にある弱さ、汚いもの、闇を思い出し、謙虚になろう、と改めて思いました。だから、戦争もの読むんだなあ。
出来過ぎとも受け取れなくもないけれど、希望のあるラストが児童文学ならではです。
※ 戦争のない社会に暮らしている私たちが、戦争を自分事として捉えるのには、『ヒトラーの娘』も超絶おすすめです!とても読みやすく考えさせられます。↓