『豚の死なない日』あらすじ
ヴァーモントの貧しい農家の少年を主人公に、誇り高い父の教え、土に根ざして生きる素朴な人々との交流、動物たちへの愛情を生き生きと描く傑作。子供から老人まで全米150万人が感動した大ロングセラー、待望のUブックス化。(BOOKデータベースより転載)
ぜひ、続編も続けてお読みください。
続編が出るまでに20年の歳月が必要だったそうです。作者の自伝であるこの物語、それだけ絞り出したものなんでしょうね。
前回ご紹介した『ホエール・トーク』↓
このあとがきの中で、「相手の好みなどきくまでもなく、とにかく読んでみてくれと突きつけたくなる本というのもごくまれにある」それが、『豚の死なない日』であり『ホエール・トーク』とおっしゃっていました。
■許す心が傷をいやす
ああ、心洗われました!!!
私びっくりしたんですよね、古き良き日本みたいなのがここにもあったー!って。
いつの間にか私の中でアメリカ=訴訟社会、個人の権利にうるさいっていうイメージになっていたんです。自分が折れたら負け、という勝ち負けの世界。
でも、この物語の中の人たちは、なんて“誠実”に‟誇り高く”生きている人たちなのでしょう。もちろん性根の腐ったような人物もたまには出てきます。けれど、そういう人に対する誠実な人々の態度といったら。同じ土俵には立たない。
例えば、続編の中で、そんな不快な人物酔っぱらったガンプさんのせいで、主人公ロバートの良き隣人であるタナ―さんはひどい目にあい、麻酔もなく病院にも行けない状態で奥さんに傷をぬってもらうことになります。そのとき、ガンプさんは何と言ったか。
「ロバート、人間はだれでもまちがいをおかすことがある。みんな弱い存在なんだ。ハスケル・ガンプのことをうらんだら、わしも弱い人間になってしまう」
タナ―さんはため息をついた。「許す心は、消毒したり意図で縫うよりもずっと傷をいやしてくれる」(P.61)
「下劣な人間」じゃなく「弱い人間」という表現に愛を感じます。なんて人間できているんでしょう。
相手の弱さを思って時に“耐え忍ぶ”、これ日本ならではだと思っていたのですが、アメリカにもそんな時代があったのですね。そこにあるのは、みじめさではなく、美しさでした。
■助け合いが当たり前の世界
そして、ご近所さんのつながりの誠実なこと。あたたかい、とかそういう言葉は合わない気がするんですよね。もっと地味で、もっと静かで控えめなもの。ごくごく当たり前のこととして助け合っていて、その深い信頼関係が胸を打つんです。そこに何の打算もない。みな口数も少ないけれど、聖書に出てくるような本当の意味での良き隣人なんです。
なんでしょう、これ。
大草原の小さな家シリーズのような開拓時代ともまたちょっと違うんだなあ。
ただ、現代よりもずっとずっと大地と共に生きていたという点が、やはり勝ち負けの世界から遠い理由の一因ではあるかもしれません。
助け合いに関しては、印象深いエピソードがいくつもありますが、さらっと書かれていたこちらのエピソードも個人的には印象に残っています。
それは、不倫してしまった隣人が、その結果生まれたけれど死んでしまった赤子の墓を掘り起こすという事件。すごくセンセーショナルにも書けたと思うのですが、びっくりするほど淡々と書かれています。そのとき、当人やその奥さんをさりげなく支える近所の人たちがいいんですよねえ。人としてすごく真っすぐなんです。だから、心洗われる。
こういう物語が大ロングセラーになることに、世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と希望を感じるんです。
ところで、主人公のロバートの一家はシェーカー教徒なので娯楽とは無縁です。シェーカー教徒とは、質素をモットーとしていて、現代でいうとミニマリストの憧れのような生活をしていた人々。野球を見に行くというような楽しみも持てないのは時として不自由に感じるけれど、結局のところ「幸せ」って何だろう、と考えさせられます。
なぜ、この子のところばかりこんなに?と天を恨みたくなるくらい次々と困難が降りかかってきますが、それでもやっぱり彼らは悔いのない人生を全うしている。貧しいけれど、なんと誇り高く、品格のある人々なのでしょう。
また、シェーカー教徒と同じく、シンプルな文章には余白がたくさんある気がします。
この誠実な人たちに出会えてよかった!!!
置かれた状況自体は苦しいものの、ラストも隣人の言葉に救われ、清々しい気持ちになれる物語でした。ぜひ。