Pocket Garden ~今日の一冊~

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多様性を考える

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『パンツ・プロジェクト』(2017年)キャット・クラーク作 三辺律子訳 あすなろ書房

パンツ・プロジェクトとは、女子はスカート、男子はズボン(パンツ)と決められている学校の制服に対して、選ぶ自由を求めるプロジェクトのこと。トランスジェンダーをテーマにしたYA(ヤングアダルトと呼ばれる中高生向き)小説です。

 

学園ドラマを見ているみたいで、サクサクと読み進められ、そして考えさせられます。軽快な文体なので、読書が苦手な人でもいけそう(←大事。読書苦手な人多い我が家では大事)。

 

『パンツ・プロジェクト』あらすじ

 

リヴは二人のママ(同性カップル)と弟と楽しく暮らしていました。

ところが、中学には制服があり、女子はスカートと決まっていて、いままでのようにズボン(パンツ)がはけないと知ったリブにとっては苦しい日々。

作文で堂々と自分の家庭のことを書いたことがきっかけで、スクールカースト上位にいる女子たちからはイジメを受け、おまけに小学校時代は親友だったメイジ―とも上手くいかなくなる。

このままでは耐えられない!

好きなものを着たい。制服改革を目指してリブは動き出します。

人気者のジェイコブが味方についてくれたおかげで、少しづつ協力者も現れ、リヴはある作戦を思いつきます。

制服改革は果たしてうまくいくのか?

 

 ■ 文学でなくとも意味ある物語

 

とっても読みやすいです。

Amazonのレビューでこの物語を酷評している方がいまして、とても興味深かったです。その人の気持ちも分からなくもないんですよね。その方のおっしゃるとおり、確かに、お決まりテンプレストーリーで文学ではないかもしれない。物事うまく行きすぎるかもしれない。ドラマを見てる感覚と言うか、漫画を読んでいる感覚に近いかもしれません。

 

でも、「後に何も残らない」はどうかな?それは読み手次第のような気がしました。

 

素直に読めば、自分事に置き換えて考えられれば、とても考えさせられます。

そのレビューの方のおっしゃる「文学」にしてしまうと、読める子が限られてしまいます。でも、私はリヴをいじめているような、そういう子たちにこの物語が届いたらいいなあ、って思うんです。

 

あと、良識があって自分は偏見を持っていないと思っている大人だけど、いざ我が子がそうだったらどう思うかとか。

考えるきっかけをくれる物語、私は大事だと思うなあ。

 

例えば、こんな場面が出てきます。

 

映画館に行くのにスーパーマンの格好をしている弟のエンツォ。

これが、すごい。何がスゴイって、サイズアウトしたパジャマのシャツで、変人に見えるのに堂々としているから。

 

人に指をさされても、笑われても、じろじろ見られても、ちっとも気にしていない。なぜなら、自分自身はそのかっこうで快適だから。満足してるんだ。エンツォにとって大切なのは、そこなのだ。

(P.171)

  

そして、リヴはこう思ったのです。「もしかしたら弟から学べることがあるのかも」

 

果たして自分が親だったらリヴみたいに思えたかな?そう自問してしまいます。

みっともないからその格好はやめたほうが……ってつい言っちゃいそう。人目を気にせず、自分自身がいられることの大事さにリヴみたいに気付けたかな?とハッとさせられるのです。

 

■ 自分なら受け入れられるかを問う

 

意外だったのは、リヴが自分がトランスジェンダーなのではないかということを、親にもなかなかカミングアウトできなかったところ。

だって、ママたちもLGBTと呼ばれる人たちだから。同性カップルでしかもファミリーを持つというマイノリティ。絶対にリヴを理解してくれる人たちなのに、それでも言いづらいんだ、って。

 

これ、普通の親にだったらどれほど言い出せないだろうか、って思うんです。

 

私個人の経験で言うと、学生時代の友だち、先輩、職場にもLGBTの人たちがいました。でもね、そのうちの一人は私にカミングアウトするのに3年かかりました。匂わせてきていたから、そうなのかなとは思っていたけれど、何度も言おうとしては口を閉ざすの繰り返し。

 

言い出しづらかったきっかけは、あるかっこいいと言われていた先輩がゲイだという噂が流れたとき、私がどうも「ショックー!」と言ったらしいんですよね、記憶にないけど。それで、自分も否定されたらと怖かったそうなんです。既に仲良しだったからそんなわけないのに。知らず知らずのところで傷つけていたんですね。

 

ましてや親だったら?

否定されたら立ち直れない、そう思ったらそう簡単には言えないですよね。実際「うちの子はLGBTじゃなくてよかったあ」と親が言ってるのを聞いて、言い出せない人もいっぱいいるそうです。

 

さて、やっと自分のことを言えたリヴに、マンマはわっと泣きだします。嬉しいから。どうして?とたずねるリヴにマンマはこう答えるんですね。

 

「うれしいに決まってるでしょ?わたしたちが望んでいるのは、あなたが幸せになることだけなんだから。そして、幸せになるのにいちばん大切なのは、自分のあるがままの姿を受け入れることなのよ」(P.251)

 

この言葉、果たして自分だったら出せたかな。

こう言えるのって、実はスゴイことだと思うんです。みんな子どもが幸せになるのを願ってるハズなのに、いつの間にかそれは「親の願う形の幸せ」にすり替わってしまう。親の理解を超えたところは全て心配に変わってしまう。

 

以前こちらの物語の感想でも書きましたが↓

blog.goo.ne.jp

子どもにいじめられてほしくない、苦労してほしくないからこそ、少し我慢して普通(心をごまかして、見た目の性別でいる)にしていたら?とかつい思ってしまいそう。

その子がその子自身でいられないことがどれだけ苦しいことかということを忘れて。

 

マンマがこの言葉を言えたのは、彼女自身が自分のあるがままの姿を受け入れることですごく苦労した体験があったからこそなんですよねえ。

この家族、いわゆる血のつながった家族ではないけれど、とっても思いやりが深いのは、きっと母親とマンマがたくさんたくさん傷ついてきた経験があるから。

 

さらに素敵なのは、マンマたちはリヴがトランスジェンダーかも?ととっくに気づいてはいたけれど、まずリヴの口から聞く必要があった、と自分から言い出すまで待っててくれたんですね。

 

子育てにおいて「待つ」って簡単そうで、なかなかできないこと。

 

 

自分なら同じようにできたかな?

そう問い直させてくれる物語でした。