Pocket Garden ~今日の一冊~

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命の優劣って

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『戦火の馬』(2011年)マイケル・モーパーゴ作 佐藤見果夢訳 評論社



馬の視点から見た戦争の愚かさを描いた作品です。

そう、語り手がなんと馬自身なんです!そこがユニークで、大義名分なんてどうでもいい、とにかく“戦争は愚か”ということを実感させてくれます。

 

主人公の馬ジョーイは、愛する少年アルバートとの穏やかな農場暮らしを後にして、最前線に送られます。第一次世界大戦中は、まだ馬が軍馬として駆り出されていたんですよね。短いながらも、色々と考えさせてくれる物語です。

 

■馬の視点が教えてくれる人間の愚かさ

 

ところで、人間が主役だと、どうしてもどちらかの側から見た物語になってしまいがちだけれど、馬ならどちらにも属さない。人間はもちろん自分の国側の軍馬として属させてるつもりだけれど、そんなの馬には関係ない。名馬ジョーイはどちらの国側からも愛されます。

 

あらゆる手を尽くしてジョーイを救おうとする人々の姿には胸打たれますが、同時になぜそういう人たちが敵対してる国の人間は殺せるのだろうか、と複雑な気持ちになります。これって、ジョーイの目から見てるからこそ、浮彫になる矛盾。

 

印象的な場面として、ジョーイをめぐって、イギリス側ドイツ側がお互いに白旗をふり、コインで勝負をつけるというところがあるんです。そうそう、これでいいじゃない!!!もうどうしても戦わなければいけないのなら、国のトップがジャンケンやコイントスで決めちゃえばいいじゃないねえ。

 

どうして、そこまでして大勢の犠牲者を出さなければいけないのか。

偽善者はいつだって、駆り出された市民で、国のトップ層ではない。

 

 

まあ、答えは出てるんですけどね……。

 

それは儲かるから。

儲かる層があるから、簡単に終わらせたくないんですよね。

 

 

■命に優劣はあるのか

 

この物語は、終わりもいいし、とても感動的な物語なのですが。個人的には一つだけひっかかったところがあります。

 

それは、命に優劣はあるのか、というところ。

 

馬の命だって、人間と等しく尊い!と描かれてはいるのですが、ただね、ジョーイは名馬で美しかったのでみなから愛されたけれど、使えないと思われた馬たちの命はやっぱり軽んじられたわけでしょう?

 

馬に限らず人間だってそう。分かりやすい地位があり、人望あつい人の死は涙を誘うけれど、名もない人々の死は???価値ないとみなされたら、見殺しにされてしまう。人も動物も。価値ってなんだろう、って。

 

私はどうしてもそこがひっかかってしまった。

 

ところで、兵士の中にみなからアホ扱いされている人が出てくるのですが、本人によると、戦争が始まる前は町中の人から尊敬されていたんだそうです。けれど、戦争のあれこれに賛同しないから、積極的に参加しないから、戦争が始まったらアホ扱い。でもね、彼は何が大事なのか分かってるんです。だから、彼は思う、一体どちらがアホなのか、と。戦争をするほうが愚かなんです、絶対に。

 

映画化もされましたが、映画ではこの馬からの視点は描けないので、やはり本がおすすめです。

 

最後に、先日、Facebook上で自由と平和のための京大有志の会の声明文を何人かの方がシェアしていたものを目にし、とても共感しましたので、ご紹介。そう、戦争って防衛を名目に始まるんですよね。そして、すぐに制御が効かなくなる。名目だから、私たちは騙されないようにしないと。恐怖心に負けないで、戦争がもたらすものを忘れないようにしないと。

 

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

(自由と平和のための京大有志の会 声明文より)