Pocket Garden ~今日の一冊~

大人も読みたい、大人こそ読みたい、大人のための児童文学の世界へご案内

人は変われる

f:id:matushino:20190923140749j:plain

『わたしがいどんだ戦い 1940年』(2019年)キンバリー・ブルベイカー・ブラッドリー作 大作道子訳 評論社

 

一気読み!

以前ご紹介したこちら↓の続編です。

matushino.wixsite.com

 

原題は、”The War I Finally Won”。

 

そう!ついに、ついにWon、勝ったのです。長い長い戦いでした。1940年なので、戦争は終わってないどころか真っ只中なのですが、主人公のエイダ(14歳)はついに勝つのです、過去の記憶、過去の自分に。

 

前作では、実母からの虐待&ネグレクトがトラウマで悩まされていたエイダでしたが、今作では内反足の手術も無事終え、実母は戦争で亡くなります。

ところが、すぐにトラウマは消えず、もはや“心の癖”になってしまっているんですね。親切を受けても、愛を受けても、素直に受け取れない。どうしたらよいのかワカラナイ。読んでいてもどかしくなるし、ホントにエイダってかわいげがなさすぎる!!!とイライラするけれど、だからこそリアリティがあるんです。

 

この物語に出会えてよかった!と思う理由はたくさんあるのですが、中でもエイダのような可愛げのない子の内側が、どういう思考回路や心理があるのか知れるという点は、貴重です。表面に出てくる言動がすべてじゃないんだなあ、と再認識させられます。

 

■はざまにいるからこそのニュートラルな視点

 

さて、エイダの後見人となるスーザンは、明言はされてはいないけれど、同性愛者。

はざまにいるからこそのニュートラルな視点がとってもいいんです。例えば今回は、ユダヤ人の少女ルースを預かることになるのですが、家主のソールトン夫人は、ルースは敵国ドイツから来た子ということで、色々と受け入れられないんですね。でも、スーザンは違う。イエス・キリストを神としていないユダヤ教に理解を示すことができず、混乱しているエイダにこんな風に語ります。

 

「人はいつだって、自分の信じるものを選んでいいのよ。コリンズ牧師はうそはついていないわ。ご自身が心から信じていることをみんなに教えているのよ。ルースは別のものを心から信じているの。それはそれでいいのよ。」(P.160)

 

「宗教に、正しいとかまちがいとかいうのはないの。ただ、考え方というのは複雑なの。ただ、考え方がちがうだけなのよ。」(P.203)

 

 

自分がマジョリティとは違う立場にあった彼女だからこそ、口先だけではないニュートラルな視点が出てくるように思いました。

 

 

■人それぞれに背景あり

 

ところで、今回は新しくユダヤ人のルースが同居人として登場してくるのですが、まあこのルースもプライドが高くて、エイダに負けず劣らずかわいくないんです(笑)。

 

そんなエイダとルースですが、心を閉ざしながらも、お互いが気になる存在であり、放っておけない。徐々に固い絆で結ばれていく様は感動でした。そう、絆って気が合うとか、好きなときだけ一緒にいるでは生まれないものなんですよね。嫌なときも一緒にいる、困難を一緒に乗り越えるからこそ生まれるもの。

 

この物語は嫌な人に思える人にも、それぞれに背景があることを思い出させてくれます。鉄の女のようなソールトン夫人にも、幼少期があったこと、愛情があること。エイダとソールトン夫人がロンドンを歩き回る様子はじわじわと感動しました。不器用な二人が、相容れることのないように見える二人が、少しずつ距離を縮めて行く。

 

人それぞれに背景あり。それって、当たり前のことだけれど、忘れてしまいがちなんですよね。それを思い出させてくれる物語です。

 

その他にも、ある言葉をきっかけに、エイダがようやく母親のことを理解する場面、自分でも気づかないうちに涙を流し、感情を取り戻していく様は感動的でした。

 

皮肉な話ですが、戦争という極限状態があったからこそ、この物語のような人種宗教を超えた絆や、階級を超えた友情が生まれたのも事実です。だからといって、戦争にポジティブな面があるというのは違うのだけれど。どんな状況の中にも光はあるってことです。

 

踏み出す勇気をもらえる物語です。ぜひ!

 

 

※お知らせ:コーチングカードと児童文学の異色のコラボ第3弾を開催します!

詳細はコチラ↓

 

www.facebook.com