Pocket Garden ~今日の一冊~

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貧しさから抜け出すには

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『レモネードを作ろう』(1999年)ヴァージニア・ユウワ―・ウルフ作 こだまともこ訳 徳間書店

 

気温21℃苗場の避暑地から、湿気天国(笑)の鎌倉へ戻ってきました。

行ってる最中に、稲村ヶ崎の海沿いの歩道は陥没するし、悲しい……。

悲しいながらも、どこか人工物の影響で変化する地球の異変に鈍感になってきている自分もいる。だからこそ、読書をしようと改めて思いました。色んな感覚に鈍感にならないためにも。

 

さて、今日の一冊は、タイトルと表紙画こそ夏らしく爽やかですが、何とも胸の痛む物語でした。

 

《『レモネードを作ろう』あらすじ》

 貧しさに埋もれたこの町を出て、いい職について、いい暮らしをしたい。それには大学へ行かなくちゃ。でも、うちにはそんなお金はない。だから、ベビーシッターのバイトを始めた。学費の足しになるように。バイト先の二人の子どもの母親は、わたしとたった三歳しか違わない十七歳のジョリー。学校にもまともに行っていなくて、字もちゃんと書けなくて、仕事もすぐにくびになる、ジョリー。わたしはジョリーたちの暮らしにかかわるうちに、なんとかしてあげたい、と思うようになった…。現代アメリカが抱える問題に真正面から向き合いつつ、前向きに生きる若者たちの姿を明るく描いた話題作。ゴールデンカイト賞、全米学校図書館協会YA向けベストブック、スクールライブラリージャーナル誌ベストブック、子ども学研究センター賞など、受賞多数。(BOOKデータベースより転載

 

 

 

出版時は、さまざまな賞を受賞したようですが、中古か図書館でしか読めない模様。

14歳の主人公の一人称語りで、文体は読みやすいのですが、読み進めるのがつらかったワケ……それは、臭いと見た目の不衛生さに耐えられなかったからです。

 

 

■貧困は五感で苦しむもの

 

17歳2児のシングルマザーのいる環境、それは……汚い。

 

とにかく汚い。

読んでいて吐きそうになるくらい。

ゴキが苦手中の苦手なんです、私。

ゴキの描写や床にある食べこぼしとか、ああムリ。

 

それでも、以前は道路で段ボール暮らしだったのだから、アパートに住んでいるだけジョリーにしてみたら、まともな生活にランクアップなんです。

 

で、気付いたんですよね。

 

今までも、貧困を始めとした苦難のうちにある子どもの物語はたくさん読んできたのですが、そのほとんどが、心理的苦悩の描写だったんだなあ、って。ここまで不衛生な環境の描写があるのは初めてだったかも。

 

彼らの苦しみは、心理的なものだけじゃない。

臭いや目に飛び込んでくる不衛生な環境、五感をフルに使った苦しみだったんだ!!!

という当たり前のことが、今回この物語で初めて実感できました。

 

 

■田舎と都会の貧困の違いとは?

 

もう一つ、今回考えさせられたのは、田舎の貧困と都会の貧困の違い。

 

前回ご紹介した『タイガーボーイ』も貧困家庭の物語です。

 

jidobungaku.hatenablog.com

 

でも、都会のそれとは全然違う。

 

田舎の貧困は、作物は搾取されるかもしれないけれど、豊かな自然環境の中にはいられるし、家族や周りの人たちとの絆がある。けれど、都会の貧困の場合は、自然とも家族とも、いろんな“つながり”の断絶があるんだなあ。そして、その断絶は孤立を生み出す……。

 

自然から切り離されたとき、人は“不自然”な生活になるんだなあ。

 

 

とはいえ、どちらの貧困も闇が深い。

抜け出すには一体どうすればいいのか。

 

 

■抜け出した人が偉いのか?

 

抜け出す方法は、いくつかあると思うのですが、やっぱり学ぶことなんだと思う。

 

ドラッグディーラーやチンピラになることは、いったんは貧困から抜け出し、お金を手にすることができるかもしれないけれど、利用されている身はいずれ滅ぼされてしまう。待っているのは悲しい運命なんですよね。

 

でも、ただただ真面目に働いても搾取される。

さらに女性はそこにセクハラも乗っかってくることもある。

騙されないための知恵や知識が武器になるから、学ぶ必要があるんですよね。

 

感心したのは、学校にシングルマザーのための託児つきクラスがあること。

サポート体制がちゃんとあるんです。すごいなあ、アメリカ。

 

……ん?すごいのか?

でも、それって、裏を返せばクラスができてしまうくらい、そういう子どもたちがいるってことでもあるんですよね。複雑です。

 

ところで、この物語の中で主人公のラヴォーンは葛藤します。住んでいる地域自体が貧困の町で、そこから抜け出すために大学を目指すのです。でも、自分の中の偽善に気づいて苦しむ。

 

自分はジョリーを利用しているのだろうか?

 

ジョリーからもらうバイト代で、ジョリーみたいにならないための切符を買おうとしている(大学に行って、この町から抜け出す)のは、間違っているのではないか?

 

14歳にしてそこに気づくとは、ラヴォーンすごい!さらにすごいのは、ジョリーの環境や背負ってるものはかわいそうかもしれないけれど、だからといってジョリーの生き方、ジョリー自身が否定されるべき存在ではない、と気付くところ。

 

ジョリーはジョリーなりにしっかりしているんだ、と思った。

母さんがいいと思うような生き方じゃないけど、

これもまたひとつの生き方。

こんなふうな生き方をしてたら、ここから抜けだすことはできない。

でも、こういう生き方だってあるんだ。(P.242-243)

 

 

環境は変えたい!でも、ジョリーはジョリーのままで尊くて、その生き方はリスペクトに値するんですよね。ことあるごとに、ジョリーがつぶやいていた言葉、

 

「誰も教えてくれなかった」

 

 

そうなんです。色々知らなかっただけなんですよね。知らないから選択もできなかった。大人の責任を感じます。

 

タイトルにあるレモネードのエピソードは、作者の深い思いと願いを感じ、胸を打ちます。

 

私たちはいつだってやり直せるし、努力できる。

そう、励ましてくれる物語でした。

 

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